(篠原 美也子『ひとり』1993年 より引用)
彼女のデビュー曲からの引用になるが、この曲の舞台は、ある雨の朝から夜に続く曲で、曲の後半は割と「ひとり、雨降る夜」が強調される事なっている。今は昼間なので、そぐわないけれど、何も9月最後の日曜日に、雨なんか降らなくてもいいのに…と思う。別に、何か特別な事をする訳じゃないけれど、曇空を見上げていると、「ひとり」とか「胸の奥に潜む哀しみや淋しさ、切なさ」がありありとあふれ出てくるのは、自分の心がそんな風だからなのだろうか?
9月24日の週は、毎日、観ていた深夜アニメが終わって行き、今、少しさびしい気持ちで一杯である。
今回(多分、ほぼ4月から続いたものばかりだったと思う)の作品で
1.『クレイモア』
2.“Gigantic Formula”
3.『ゾンビローン』
4.『ヒロイックエイジ』
5.『キスダム』
6.“Over Drive”
7.『おおきく振りかぶって』
に、私ははまっていた。特に7項目のは、『クラスターエッジ』や“GAD GARD”並かそれ以上に、はまっていた様に思う。
さて、これらの作品で、項目1と3あるいは5もそうかも知れないが、「生きろ」という事が強く現れていた様に思う。グロテスクな物が数多く出て来て、中には少し「残酷」とも言える面もあった様に思う。殊、『クレイモア』や『キスダム』は、そんな感が強かったと思う。
その様な作品から、「生きろ」という言葉が出てくるのは、少し不思議な感じがする。あの有名な『もののけ姫』もそんな言葉が出て来ていたりする。
共に「戦闘物」で、あり、戦いに勝ち抜いく過程の中で、描かれる人間模様やその成長や変化を見ていく事になるのだが、『ゾンビローン』は少し違うかも知れないが、「絶望中心の世界」で展開されるストーリーがあったと思う。現代の社会も、景気回復とは言われても、「格差」は広がり、年金を始め、「将来が見えづらい」面もある。そこで時折、「自殺」が報道される事がある。記憶が確かなら、去年辺りも結構その手の話があったと思うし、最近も、報道されていた様に思う。だからこそ、「生きろ」という「キーワード」が出てきたのだろうか?
一方で、項目2、4、6と7もそうだと思うだが「希望を持て!」という事を訴えていたように思う。特に、「最後まで諦めないで前進していく姿勢が大切」という事を、“Over Drive”に『おおきく振りかぶって』では強調されていた様に思う。“Over Drive”で主人公が、自転車レースで途中何度もリタイヤしかけるシーンそして『おおきく振りかぶって』でのトウセイ高校との試合。8回過ぎて負けそうになっても、「勝利」を目指そうとする想いと「まだ試合は終わった訳ではない」という想い。以前観ていた“Dear Boys”でも、強調されていたものではある。
先述も書いた通り、絶望に塗られた世界の中で、「希望」もまた「生きる」という事の中で「必要」なものだと思う。所詮は「言葉だけによるもの」なので、
「キレイゴト」になってしまう。けれど、あくまでも「物語の中だけ」でそれらが強調されていた様に感じられ、「実社会でもそれを」という事が強調されていた訳ではないので、そこは良しとしたい。問題なのは「キレイゴトを他人に押し付ける事や押し付けようとする姿勢にある」だと思うからだ。
後は、項目2と4と7では「天真爛漫さ」というのもキーワードとして出ていた様に思う。忘れかけていた物を思い出させてくれた様に思うし、その姿が輝いていた様にも思う。それの重要性に気付かされたようにも思う。
そして、『ヒロイックエイジ』では、これらの事とは別に、「人は国や文化を越えて、互いに強調し、意思疎通を図るネットワークを組む事で繁栄を遂げるものだ」という事が描かれていたように思う。現段階では、まだ最終話を迎えていないが、そんな事を得たように思う。
深夜アニメというと「萌」とか「オタクチック」な事が連想されがちだが、物によっては、こんな風な事を感じえる事が出来ると思う。以前のアニメトークで、「現代社会を示した物がある」という事を書いたが、それをこの様に具体的な作品を持って、語ることが出来た事は嬉しい限りである。
但し、作品の解釈は人によって異なるので、あくまで私一個人の意見でしかないし、毎度、こんな風に語れるという訳でもないし、本来は、個々の作品の「独自の世界観」とか「登場人物」についての「特色や良し悪し」を語るのがスジかもしれないけれど、私が感じたところはとりあえずこんな所である。