季節外れな話は承知の上である。
けれど、夏の時期にどうしても「儚げ」というか、「ドロついた」(いつもそんな感じだが・・・滝汗)話を書きたくなかったので、あえて書かなかった。丁度、昨日9月10日、「今年の夏について」という事で書いたので、それのカップリング的な感じ(?)で、いつ書いた忘れた1つのエッセイを紹介したいと思う。原文をそのまま掲載しているので、表記揺れ等ある事をご勘弁頂きたい。
タイトル:夏の夜
こんな事を頭の中に思い描いてみる。
夏の夜。時間がどれくらいなのかは解らないが少なくとも多くの人間が眠りにつこうとしているか、その為の準備をしている位の時間だと思う。そして、今日と言う日があと2時間か3時間か1時間かは解らないが、タイムリミットも同時に近づいている時分である。
少年と呼ぶべきなのか、青年と呼ぶべきなのか、呼ぶのに困りそうな年齢の人間達が、街からほんの少しはなれた時計台のある公園の1角にあつまっている。人数は6、7人か7、8人かその位である。その集団のひとりが、多分、リーダー格なのであろう彼が、集まっている人に言う。
「今夜はよくあつまってくれた。短い夏の1夜、今夜は楽しく過ごそう」
と声がすると、集団から歓声が上がる。そして、携帯の着メロやらロケット花火やら何か怪しげな話、彼女の話等皆がどこかバラバラでありつつもまとまっているそんな雰囲気で彼らはバカ騒ぎを始める。それぞれの表情は明るくイキイキとしている。だが、そんな集団の中で、片隅に2、3人かたまって自分と同じメンバー達であるのにもかかわらず背を向けているグループが見える。彼らは言う。
「1体、何が楽しんだろうな」
「バカらしい」
と。彼らはそのバカ騒ぎの中で、何かをつかめないでいるのは確かである。けれど、同時に彼らは気付いている。「空まわりの、何の事態もないまま、何の理由もないままに騒ぐ事をしても何も意味はない」と。そして、
「そんなつまらない事の為に自分の時間を犠牲にする事はどこか変だ」
と気付く。ならば、
「ひとりで自分の為に、自分の価値観で満足出来る事をしよう」
と思い始める。それはいつしか閉鎖的な時代を迎える為の第1段階にしかすぎないが、案外と今の時代があまりこう温かみがないという事への基礎をつくったのかも知れない。
それはさておき、こうして盛り上がりを見せた夏もいつかは終わりを迎えていく。それのはかなさを知りながらも、最大限楽しもうとする姿勢は本当にただしいものかと思う。
数が少ないから価値がある。時間も少ないから、期間も少ないから価値がある。本来、そう言う時は、目一杯楽しんだあとで「良かった」と言う為のものと言うのは解っていてもどこか・・・。
これを書いた時、私は何を思って居たのかは、あまり解らない。今にして思うと、どこかで「赤面」してしまう位の「恥ずかしさ」がある。死ぬ前に確実に処分しておきたい文書その1とはならないだろうが、それに近いものはありそうだ。
閉鎖的な現代を描きたかったのか、それとも、そんな時代であっても、人は「グループ」を作って、それぞれに「楽しんでいる」という現実を知り、私自身が孤独な存在である事を嘆いたのか・・・は解らない。
このエッセイ中の、「今夜はよくあつまってくれた・・・」のくだりは、小学校6年に行った修学旅行の「キャンプファイヤー」で、「今宵は皆仲間です」という台詞を言った修学旅行のイベント企画者が居た事を思い出して書いた様に思う。「皆で一体感を持とう」する姿勢を強調する為のものであるが、その後の学生生活で、「皆で一体感を得ようとする姿勢」がどれだけあったかと言われれば、ほぼ「無かった」と言っても過言ではないように思う。殊更、「行事」となると、「中学時代、高校時代の憂鬱の種の1つ」だった様に私は思う。それは特に下記の話に繋がる。
「やりたくなくても教員達から強引にやらせられ、〝キレイゴト〟が蔓延す
る」
「本当にやりたい訳ではないので、どこかで、憂鬱さを引き摺って行事が
進行される」
「行事に向けた前段階の作業(=練習)が、〝やりたくない〟という気持ち
が強く、どこかでやはり〝憂鬱〟さを引きずり、〝衝突〟を招く」
「〝憂鬱〟からくる〝死んだ瞳〟と〝疲れた表情〟で溢れる雰囲気」
「〝人間関係の劣悪さ〟や〝醜さ〟が露呈される」
その5つが特に私は嫌だった覚えがある。特に、「思っても無い事を思わされて言う」言葉、「キレイ言」が大嫌いだった。所詮、その場しのぎで格好いい言葉でしかないのに、「それに酔う周囲」が嫌だった。全ては、幻ともいえる「その場しのぎの感情あるいは一瞬の感情」でしかないのに、事態が終息すれば、「あれは良かった」と言う「キレイ言」がもっと嫌だった。
そして、四面楚歌(こんなねじまがった考え方してれば、当り前ではあるけれど)だった(高校時代は特に)あの時、自分と言う存在が単なる「邪魔者」に見えて嫌だった。
学校の行事もある意味、ありふれた学校生活の中の「パーティ」の1つだとすると、私はある曲のフレーズに行き着く。
「 華やかさの陰 苛ついた視線…中略…こんなに賑やか
なパーティ ひとりだけ海の底みたい ひとりきりなんて 馬鹿みたい」
これは、篠原美也子の『パーティ』(1994年)という中にあるのだが、まさにその文章達の様な心境になっていたのは事実で、学校が嫌いだったし、憂鬱だったのは言うまでも無い。
他人が他人が集まるなかで、1つの集団が出来上がり、その中で、他人が「友人」になっていく・・・というのは言うまでも無い。しかし、それはあくまでも「原則」であり、常にそうなるとは限らない。「集団の中で生まれそして想われる〝憂鬱〟に似た感情」に、気付いてしまうと、その場から離れたくなるんじゃないか、とも思う。人は人からは離れらないというのに、離れたくなる感情。高度な能力を持った事の「弊害」の1つなのかもしれない。
一度、夏だったかは忘れたが、深夜の近所を自転車で走った事があった。いくつの時だったかも覚えていないが、そんな時、ちょうど、先ほど記載した「エッセイ」の中にあるように、数人が座談会的に集まっていたシーンに出会った事があり、それも書く動機になったのかは解らない。その時、彼らはそんな時を楽しんでいたのだろうか?
閉鎖的な世の中とは言え、「通信手段」は発達し、「コミュニケーションを円滑かつ濃密に行える」様になった。だが、それでも、生の人と人のつながりは、どこまであるのだろうか?稀薄になっていく人間関係を見ていれば、「閉鎖的な社会になっている」と思う。けれど、「通信手段は発達していく」という方向に向かっている。
そんな事を思っているのは自分だけなんだとは思う。けれど、そう言うのって全く無いとは言えないと思うのだが・・・。