1.雨だれ/太田裕美 1974年11月発表
太田裕美はNHKの「ステージ101」の後半期のヤング101のメンバーで、このデビュー曲が出る前から知っていた。
そのため、この曲が出て、あまり売れなかったので心配をしていた。
なんだか「仲間」のような「代表」のような気持ちで応援をしていたのである。
とはいうものの、どちらかといえば太田裕美よりも西玲子のほうが気になっていて、まあ頑張ってほしいなあ、というそれほど熱の入った応援ではなかったのだけれど・・・
この曲は「いい歌」であると思うが「売れない」と思っていた。
「あーヤング101から出てくると売れないのかなあ」
とも思っていたのである。
今聞いてみると、やっぱり「いい歌」である。
太田裕美の声と舌足らずな歌い方にマイナーな曲がなんとなくいいかんじであっているのである。
2.ビートルズはもう聞かない/Garo 1974年12月発表
ガロは「学生街の喫茶店」につきる。
その後の曲は「凝りすぎ」だと思っている。
「凝りすぎる」原因は、学生街の喫茶店が自分たちの目指す音楽と乖離していること、のようだということをその後何かで読んだような気がするのだが・・・
ちょいと時代を先取りしてしまった人の不運、みたいなものを感じるときがあるが、ガロはその典型のような気がする。
一般に「流行」とか「はやり」というのは時代のちょっと先端くらいのものだと思うのだが、ガロはその先にいたような気がする。
だから、ちょっと足をとめて(仕方なく)歌ってみた学生街の喫茶店はよく売れたのではないかと・・・
ビートルズはもう聞かない、というフレーズももうちょっとあとのことで、このときにそういう人は、というか、そんなことを考える人は、コアなというか特殊な人だったような気がする。
3.思い出まくら/小坂恭子 1975年5月発表
この歌は「どうってことのない」それほどいい歌だとは思わなかったが「売れる」だろうとも思った。
詩も曲も特別どうってことのない感じなのだが、あわせると、どことなくそそられる、そういう歌である。
この曲が巷に流れていた頃、それほど気にも留めていなかったのだが、その後、カラオケが出始めた頃に、素人が歌った「思いでまくら」になんだか感激してしまった、という思い出がある。
4.紙風船/赤い鳥 1973年5月発表
紙風船は「紙ふうせん」の歌だと思っていたら、赤い鳥、の曲だったんだということを今回知りました。(というか、どこかで勘違いしていたんだろうとおもう)
赤い鳥はその後アコースティックな紙ふうせんとポップなハイ・ファイ・セットに分かれたが、この曲はその両方が織り交ざったもののように感じる。
「融合」といえば聞こえがいいが、実は「妥協」だったということがよくある。
今この曲を聴くとなんとなくそういうことを思ったりする。
どちらがいい、ということでもなく、どちらが正解、ということでもない。
そんなことを考えたりするのである。
紙風船が落ちてくるまで、いったい何を考えているのだろうか?
この歌は「高く 高く」といっているが・・・・
5.戻ってきた恋人/猫 1973年11月発表
吉田拓郎と安井かずみのコンビの作品は、チグハグしているところが好きだった。
今までにない拓郎が見える、というか、拓郎が戸惑っている気負っている苦悩している、そういうところが「よかった」りしていたのである。
そのチグハグさは「都会」とか「洗練された」みたいなところではないか、そういういところを「猫」が歌うと、なんとなくピッタシなのだ。
猫(田口さんがなくなってしまって非常に残念であるが)は野暮ったそうに見えて、核になる部分は都会風な洗練されたものではなかっただろうか。
がむしゃらいうよりはサラリというかんじで、好きだった。
この歌も、なんとなく野暮ったい編曲でもう少しあっさりしていてもいいのではないかとも思うのだが、それがわりと圧砕風にも聞こえるのはこのグループの特徴なのではないかと思うのである。
5.シンシア/よしだたくろう&かまやつひろし 1974年7月発表
シンシアとは南沙織のことである。
拓郎が南沙織のファンであることは知っていたが、それを曲にするというのはこういうことなのか、と高校生の私はすごく驚き感激したのである。
そういうことも歌にしていいいんだ。
というのが、率直な感想であった。
そして3拍子の歌というのもわりと珍しかった。
なぜ一人ではなく「かまやつひろし」と一緒に歌わなければならなかったのかそれは不思議であった。
この歌の一番好きなところは、いわゆる2番の
♪人ごみにかくれて 肩をすぼめて 自分を見つめた時
過ぎ去った夢が くずれ落ちる♪
というところで、高校生の私は、そういう場所、姿、心境、にすごくあこがれたのである。
カッコイイ大人の世界、というものを感じたと思われる。
ギターを弾きハーモニカを吹いて、よく歌ったなつかしい歌である。
太田裕美はNHKの「ステージ101」の後半期のヤング101のメンバーで、このデビュー曲が出る前から知っていた。
そのため、この曲が出て、あまり売れなかったので心配をしていた。
なんだか「仲間」のような「代表」のような気持ちで応援をしていたのである。
とはいうものの、どちらかといえば太田裕美よりも西玲子のほうが気になっていて、まあ頑張ってほしいなあ、というそれほど熱の入った応援ではなかったのだけれど・・・
この曲は「いい歌」であると思うが「売れない」と思っていた。
「あーヤング101から出てくると売れないのかなあ」
とも思っていたのである。
今聞いてみると、やっぱり「いい歌」である。
太田裕美の声と舌足らずな歌い方にマイナーな曲がなんとなくいいかんじであっているのである。
2.ビートルズはもう聞かない/Garo 1974年12月発表
ガロは「学生街の喫茶店」につきる。
その後の曲は「凝りすぎ」だと思っている。
「凝りすぎる」原因は、学生街の喫茶店が自分たちの目指す音楽と乖離していること、のようだということをその後何かで読んだような気がするのだが・・・
ちょいと時代を先取りしてしまった人の不運、みたいなものを感じるときがあるが、ガロはその典型のような気がする。
一般に「流行」とか「はやり」というのは時代のちょっと先端くらいのものだと思うのだが、ガロはその先にいたような気がする。
だから、ちょっと足をとめて(仕方なく)歌ってみた学生街の喫茶店はよく売れたのではないかと・・・
ビートルズはもう聞かない、というフレーズももうちょっとあとのことで、このときにそういう人は、というか、そんなことを考える人は、コアなというか特殊な人だったような気がする。
3.思い出まくら/小坂恭子 1975年5月発表
この歌は「どうってことのない」それほどいい歌だとは思わなかったが「売れる」だろうとも思った。
詩も曲も特別どうってことのない感じなのだが、あわせると、どことなくそそられる、そういう歌である。
この曲が巷に流れていた頃、それほど気にも留めていなかったのだが、その後、カラオケが出始めた頃に、素人が歌った「思いでまくら」になんだか感激してしまった、という思い出がある。
4.紙風船/赤い鳥 1973年5月発表
紙風船は「紙ふうせん」の歌だと思っていたら、赤い鳥、の曲だったんだということを今回知りました。(というか、どこかで勘違いしていたんだろうとおもう)
赤い鳥はその後アコースティックな紙ふうせんとポップなハイ・ファイ・セットに分かれたが、この曲はその両方が織り交ざったもののように感じる。
「融合」といえば聞こえがいいが、実は「妥協」だったということがよくある。
今この曲を聴くとなんとなくそういうことを思ったりする。
どちらがいい、ということでもなく、どちらが正解、ということでもない。
そんなことを考えたりするのである。
紙風船が落ちてくるまで、いったい何を考えているのだろうか?
この歌は「高く 高く」といっているが・・・・
5.戻ってきた恋人/猫 1973年11月発表
吉田拓郎と安井かずみのコンビの作品は、チグハグしているところが好きだった。
今までにない拓郎が見える、というか、拓郎が戸惑っている気負っている苦悩している、そういうところが「よかった」りしていたのである。
そのチグハグさは「都会」とか「洗練された」みたいなところではないか、そういういところを「猫」が歌うと、なんとなくピッタシなのだ。
猫(田口さんがなくなってしまって非常に残念であるが)は野暮ったそうに見えて、核になる部分は都会風な洗練されたものではなかっただろうか。
がむしゃらいうよりはサラリというかんじで、好きだった。
この歌も、なんとなく野暮ったい編曲でもう少しあっさりしていてもいいのではないかとも思うのだが、それがわりと圧砕風にも聞こえるのはこのグループの特徴なのではないかと思うのである。
5.シンシア/よしだたくろう&かまやつひろし 1974年7月発表
シンシアとは南沙織のことである。
拓郎が南沙織のファンであることは知っていたが、それを曲にするというのはこういうことなのか、と高校生の私はすごく驚き感激したのである。
そういうことも歌にしていいいんだ。
というのが、率直な感想であった。
そして3拍子の歌というのもわりと珍しかった。
なぜ一人ではなく「かまやつひろし」と一緒に歌わなければならなかったのかそれは不思議であった。
この歌の一番好きなところは、いわゆる2番の
♪人ごみにかくれて 肩をすぼめて 自分を見つめた時
過ぎ去った夢が くずれ落ちる♪
というところで、高校生の私は、そういう場所、姿、心境、にすごくあこがれたのである。
カッコイイ大人の世界、というものを感じたと思われる。
ギターを弾きハーモニカを吹いて、よく歌ったなつかしい歌である。