毎月2回、ハワイ語の勉強のために上京しています。
私のハワイ語のクラスは徹底した少人数ですが、ほぼ全員が「かしまし博士」なので、ものっすごい賑やかです。
って「あんたにだけは言われたくなーい!!」って声が聞こえてきそうですね(笑)。
ハワイ語にかける情熱が半端ではない面々なので、課題曲のフラを映像で見れば容赦ない批評が飛び交い(つーか私の毒舌が伝染しているという説も)、先生によるハワイ語の文章の文法解説を聞きながら、「naniとu'iの違いはなんですか?」みたいなマニアックな質問があまりにも止まらず、なかなか授業がはかどらないこともしばしばです(フセボ先生、ごめんなさい.....)。
この濃ゆ~い空気、万人には密度が高すぎるやも.....。
かしましい方も物静かな方も、皆さんフラやハワイ文化への気持がとにかく真摯で、本来他者のものである文化を真面目にリスペクトする思いがとても強いことは共通していまして、ほかのメンバーと比べると私なんかすんごいチャランポランな気がして参ります(笑)。
そんな皆さんと決まって話しているのが、「今の日本ではあまりにもフラが軽んじられ、間違った方向に行っている側面が多い」ということです。
特に問題に挙げられるのは意識の低すぎる指導者があまりにも多いという話ですね。これ、良識ある愛好者の方と話してると、必ず話題に上ります。
何も知らない段階で似而非指導者についてしまったためにとても無駄な時間を過ごしてしまったという方の話もよく聞きますね。具体的にいうなら、ハワイのダンサーは誰もやらないような珍妙な腰振りを強要され、すっかり腰を痛めてしまった方もいらっしゃいます。そういう方は本当に被害者ですよね。
無責任に教えることはそれ自体が悪いのではなく、それによって間違ったメソッドを身に付けさせられてしまった人に対して最も罪を犯しているといえます。
ハワイ語のクラスに来ている皆さんはそのことをよくご存じで、踊りは上手なのに「私にはとても教えられない」とおっしゃる方が多いです。
これはたんなる謙遜ではありません。ハワイに伝えられる教えの一つに「謙虚であれ」というのがありますが、一度奥深さを知ってしまったらとても謙虚にならずにはいられない、というのが真理だと思います。
なんて偉そうに書いてますけど、23年踊ってきた(しかもそうとうなゴーマニストの)私だって、こんな人間が教えてていいのかよ、と苦しむこともあります。
たとえば、今教えている曲を聴いたその場で同時通訳して生徒さんたちに伝えようとした時、「アレ!?この単語の意味何だっけ」と考え込んだ瞬間。
正直、背筋に氷水を浴びせかけられたような気持になりますね。
いうまでもなく、全体の意味はちゃんとわかっています。ダンサーとして踊るためなら確かにそれだけで良かろう。
でも教えるためには、歌詞を聞いてその場で一語一句正確に訳せる程度には飲み込めてなくちゃいけないんです。まして、ダンスのキャリアが私よりさらに数十年長いマミちゃんならともかく、私は「ハワイ語が分かっている」というのだけを取り柄に教えさせてもらっているわけです。
もう大げさでなしに「生れて、すみません」状態(笑)。こんな半端な人間が偉そうに生徒さんの前に立っていることを羞じずにはいられません。
だから中高生のときからマミちゃんにくっついて指導に行っているけれど、未だに「先生」と呼ばれると怖いです。こんなんで先生かよ、と言うもう一人の自分がいそうで。
かといっていつまでも「先生じゃなくてラナちゃんと呼んで」とかいって責任逃れをしている場合ではありません。
ま、私みたいなゴーマニストは、こうやってしょっちゅう自分の非力を思い知らされてるくらいで丁度いいのかも(笑)。
せめて一度反省したことは二度と失敗しないよう、研鑽を積み続けましょう。
私のハワイ語のクラスは徹底した少人数ですが、ほぼ全員が「かしまし博士」なので、ものっすごい賑やかです。
って「あんたにだけは言われたくなーい!!」って声が聞こえてきそうですね(笑)。
ハワイ語にかける情熱が半端ではない面々なので、課題曲のフラを映像で見れば容赦ない批評が飛び交い(つーか私の毒舌が伝染しているという説も)、先生によるハワイ語の文章の文法解説を聞きながら、「naniとu'iの違いはなんですか?」みたいなマニアックな質問があまりにも止まらず、なかなか授業がはかどらないこともしばしばです(フセボ先生、ごめんなさい.....)。
この濃ゆ~い空気、万人には密度が高すぎるやも.....。
かしましい方も物静かな方も、皆さんフラやハワイ文化への気持がとにかく真摯で、本来他者のものである文化を真面目にリスペクトする思いがとても強いことは共通していまして、ほかのメンバーと比べると私なんかすんごいチャランポランな気がして参ります(笑)。
そんな皆さんと決まって話しているのが、「今の日本ではあまりにもフラが軽んじられ、間違った方向に行っている側面が多い」ということです。
特に問題に挙げられるのは意識の低すぎる指導者があまりにも多いという話ですね。これ、良識ある愛好者の方と話してると、必ず話題に上ります。
何も知らない段階で似而非指導者についてしまったためにとても無駄な時間を過ごしてしまったという方の話もよく聞きますね。具体的にいうなら、ハワイのダンサーは誰もやらないような珍妙な腰振りを強要され、すっかり腰を痛めてしまった方もいらっしゃいます。そういう方は本当に被害者ですよね。
無責任に教えることはそれ自体が悪いのではなく、それによって間違ったメソッドを身に付けさせられてしまった人に対して最も罪を犯しているといえます。
ハワイ語のクラスに来ている皆さんはそのことをよくご存じで、踊りは上手なのに「私にはとても教えられない」とおっしゃる方が多いです。
これはたんなる謙遜ではありません。ハワイに伝えられる教えの一つに「謙虚であれ」というのがありますが、一度奥深さを知ってしまったらとても謙虚にならずにはいられない、というのが真理だと思います。
なんて偉そうに書いてますけど、23年踊ってきた(しかもそうとうなゴーマニストの)私だって、こんな人間が教えてていいのかよ、と苦しむこともあります。
たとえば、今教えている曲を聴いたその場で同時通訳して生徒さんたちに伝えようとした時、「アレ!?この単語の意味何だっけ」と考え込んだ瞬間。
正直、背筋に氷水を浴びせかけられたような気持になりますね。
いうまでもなく、全体の意味はちゃんとわかっています。ダンサーとして踊るためなら確かにそれだけで良かろう。
でも教えるためには、歌詞を聞いてその場で一語一句正確に訳せる程度には飲み込めてなくちゃいけないんです。まして、ダンスのキャリアが私よりさらに数十年長いマミちゃんならともかく、私は「ハワイ語が分かっている」というのだけを取り柄に教えさせてもらっているわけです。
もう大げさでなしに「生れて、すみません」状態(笑)。こんな半端な人間が偉そうに生徒さんの前に立っていることを羞じずにはいられません。
だから中高生のときからマミちゃんにくっついて指導に行っているけれど、未だに「先生」と呼ばれると怖いです。こんなんで先生かよ、と言うもう一人の自分がいそうで。
かといっていつまでも「先生じゃなくてラナちゃんと呼んで」とかいって責任逃れをしている場合ではありません。
ま、私みたいなゴーマニストは、こうやってしょっちゅう自分の非力を思い知らされてるくらいで丁度いいのかも(笑)。
せめて一度反省したことは二度と失敗しないよう、研鑽を積み続けましょう。