大正10年発表の句は少ないですが、11年からは僅かづつ句数が増えていったようです。大正11(1922)年『ホトトギス』2月号に下の3句を含む5句が載りました。
「足袋つぐや ノラともならず 教師妻」
「戯曲よむ 冬夜の食器 浸けしまま」
「冬服や 辞令を祀る 良教師」
最初の「足袋つぐや…」の句は、腎臓病を発病し実家で約一年入院治療したのを機に離婚話が起きましたが、久女は二人の子供のために夫との離婚を断念しました。この句はその時の悲哀を詠んだもので、久女の悶々とした思いを表す句として、その後度々引き合いに出される句です。
私はこの句に久女の率直さや無防備さを感じ、何となく彼女を痛ましくさえ思ってしまいます。どうも久女の必要以上の率直さは、彼女のさがというか宿命の様に思えてなりません。
「戯曲よむ…」の戯曲はおそらくイプセンの『人形の家』のことでしょう。自我に目覚めそれまでのしがらみを越えて、家と夫を捨てるノラに久女は共感を寄せただろうと思われます。が、反面それは同じような問題に苦しんでいる自分を見つめることにもなったでしょう。
私も食後の後片付けを放り出して本を読みふけることがあるので、この句を見た時「まぁ、久女も私と同じことしてる!」「私のことを詠んでくれたんだ」と嬉しかったのを告白しなければなりません(^-^)
「冬服や...」の句は、おそらく受けた辞令を夫、宇内は神棚に上げたのでしょう。それを見る久女の目は冷ややかです。”良”の使い方に久女の皮肉が込められている気がします。
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