久女の長女昌子さんは著書の中で、(19)で掲載の「冬服や」の句が『ホトトギス』に発表された時、父、宇内は怒り狂ったと書いておられます。
だからでしょうか、これ以後夫を素材にした句は殆ど見られないようです。自分の事を何かにつけて句にされると思うと、宇内は我慢ならなかったのでしょう。
これらの句が発表される4か月程前の大正10(1921)年10月に、久女の住む小倉に近い所で、炭鉱王伊藤伝右衛門に嫁いだ柳原白蓮が7歳年下の一介の書生に奔る、いわゆる「白蓮事件」が起きています。
この事件について久女は何一つ書いたものを残していない様ですが、新聞でセンセーショナルに取り上げられたので、この事件を知っていたと思われます。
夫と、また俳句と家庭の相克に苦しんでいた久女が、この事件にどのような感慨を持ったかを知りたい気がするのは私だけではないでしょう。
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