虚子は西海道を多くの聴衆を前に講演をしながら旅した強行軍とはちがって、櫓山荘句会では気心の知れた弟子たちと橋本夫妻のもてなしに、すっかり寛いだことでしょう。句会のお題は「汐干狩り」、兼題は「落椿」でした。
この句会での久女の句は
「汐干人を 松に佇み 見下ろせり」
虚子の句は
「汐干潟 人現れて 佇めリ」
「谷水を さそひ下るや 落椿」
などでした。
句会中に暖炉の上に活けてあった椿の花がポトリと落ちたので、橋本夫人はそれを何気なく暖炉の火にポンと投げ入れました。それを見ていた虚子はすかさず
「落椿 投げて暖炉の 火の上に」
と詠み、まだ俳句を始めていなかった橋本夫人(後の多佳子)はこの句に強い感銘を受けました。これが縁で久女は、多佳子の夫、橋本豊次郎に依頼され多佳子に俳句の手ほどきをするようになったと、後に橋本多佳子は書いています。この時久女31歳、多佳子24歳でした。
「きさらぎや 通いなれたる 小松道」
上の久女の句は、多佳子へ俳句の手ほどきをするために櫓山荘に通った頃のことを詠んだものです。何となく久女の心はずみが感じられる句ですね。
後に、橋本多佳子は4T(中村汀女、星野立子、三橋鷹女、橋本多佳子)の一人と言われるようになり、昭和俳壇を代表する女流俳人として大成した人ですが、彼女の書いたものによると、最初に俳句の手ほどきをしてくれた杉田久女に対して、若い頃はあまり恩義を感じている様には思えないのは残念なことです。
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