前回の記事(17)で少しふれた本、『杉田久女遺墨』について書いてみたいと思います。
小倉には〈久女伝説〉などという、おかしな噂話が伝わっている久女ですが、彼女の長女、石昌子さんは〈その様ないわれのない虚像ではなく、久女を正しく知ってほしい、また生きる力を俳句から掘り起こした久女の姿を知ってほしいとの思いから、遺墨を集め出版することにした〉とあとがきで本書出版の目的を述べておられます。
載っている遺墨は短冊、色紙、扇子、団扇などに揮毫したもの、絵、句稿、植物昆虫などの筆写、源氏物語の筆写、手紙、はがき等で、よくこれだけの数を集めることが出来たな~と感心するほどです。
1ページ目には、赤地に金泥の美しい短冊にほとばしる様な、流れる様な美しい字で花衣の句、その横には薄茶に金泥の短冊に繊細な筆使いで宇佐神宮にお参りした時の句、の二葉の短冊が載っていて、これらを見ていると居住まいを正し机に向かっている、久女の姿が立ちのぼってくるような気がします。
平成23年秋に北九州市立文学館で催された「花衣 俳人杉田久女」展で同じ様な短冊を見ましたが、どれも長い年月を経ているのに、古びた感じはなく、今書いたばかりの様に見えたのには驚きました。随筆「吾が趣味」の中で〈手漉きの良い和紙に字を認めるのが好き〉と書いている久女ですから、おそらく最高の和紙の短冊と筆墨を使っているのでしょう。
〈久女伝説〉として、〈久女は書道でも、先生に朱筆を入れさせず、私は私の字を見せに来ただけですと言って、皆と同じようには習わなかった〉などというおかしな話を読んだことがあります。長女昌子さんは、この遺墨集の最後に「久女記」というかなり長い文章を載せておられますが、その話に言及した部分があるのを興味深く読みました。
それによると、久女の書道の先生は小倉師範で教えておられ、当時この分野でただ一人の文学博士であった石橋犀水という先生だったそうです。その先生から、久女は字の基礎がある程度出来上がっているという事で、皆とは別の、特別の法帖を与えられていたので、そんな妙な〈久女伝説〉が生まれたのでしょうと書いておられます。
小倉に住んでいた12、3年前、魚町の古書店に『杉田久女遺墨』が出ているのを見つけました。昭和55年の出版時に定価4800円の本が、この時20,000円の値がついていました。高いので、買おうかどうしようかと迷ってその店を出て、別の買い物をした後、「買おう」と決めて古書店に行ってみると、売れてしまっていました。タッチの差で買えなくて呆然としたのを今でも思い出します。今、私の手元にあるのは、その後ネット上の古書店サイトに同じような値段で出ていたのを買い求めたものです。この本は今、私の宝物になっています。
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