TBA

(仮)

無印で買って…

2017-09-27 | テレビ番組

無印良品って八尾の西武にあったっけ。

できたころってあの紙袋が、

なんかかっこいいなって思ってたけど、

買い物したことはないかも。

高くていいものはあたりまえだけど、

いまはそこそこのものでも安いものを買いたい。



西武のあとはLINOASに変わったみたいだけど、

まだ行ったことない。

あんまり変わらないのかと思ったら、

本屋さんがなくなったみたいなので、

もうなかなか行くことはないかも。




「Aさんの話」のウソの見破りかたがおもしろかった。

ただ、なんの良心も持たずに、

見破られていたとしても平気で、

どうどうとウソをつききってしまうような人には、

なんの手だてもないけれど。




そのあとは、土曜日に半分見のがした、

高野山の「ブラタモリ」と「クレイジージャーニー」

どっちを見るか迷ったあげくに、

「ブラタモリ」のほうを録画しようって決めるのが遅くて、

結局、見のがした部分を見逃した。

なにをやってるんだか…




でも「クレイジージャーニー」のクジラ漁おもしろかった。

ディレクターはもうちょっとちゃんとした方がいいと思うけど。


たぶんむかしの日本のクジラ漁もあんな感じだったんだろうな。

いただいた命はあますところなく使い切る。

海の民、として同じようなルーツを持つのかもしれない。


先住民に一番いい部分を渡すっていうのもおもしろいし、

ナガスクジラに乗ってやってきたから、

ナガスクジラは殺さない、とかいうのも。


あと、クジラの頭を海に帰すっていうのは、

アイヌだったか、イヌイットだったかで、

クマの頭を森に返すっていうのがあったような。


こういうのを見ていろんな感じ方があるのは当然だと思う。

ただ、そのうえで自分と違う感じ方をする人がいることを、

認められるかどうかっていうのが、

「複数性」だったり「多様性」ってことなのだと思う。




「ブラタモリ」の高野山もおもしろかった。

こどものころ家に帰るのに、

よく新今宮から堺東まで高野線に乗ってたんだけど、

「こうや号」があこがれだった。

あのイヌみたいなデザインのやつ。

もちろん高野山になんか行けるわけないし、

一駅二駅だから急行に乗れるくらい。

それでも短い車両になんかごてごてした感じが好きだった。


そのあと、たしか小学校の林間かなにかで高野山に行った。

なんか代々おなじ宿坊で、

冷たいカレーがおいしくないって聞いてたら、

ほんとにこどもの口にはあわなかった思い出。


でも、それっきり行ってないので、

また行きたくなった。


いま、みうらじゅんさんの「マイ仏教」を読んでるんだけど、

やっぱりあそこには、お坊さんになりたくてもなれない人と、

なりたくないのにならなければいけない人がいるんだろうか。

母親のいとこがあそこにいたはずだけど、

彼はどう思ってたんだろう。
コメント
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