日ざしは変わらないけど、風があってしっけもなくて、
空も高くなって秋の空。
このまま秋になるんだろうか。
最近は、だらだら暑い日が続いて、
急に冬になるような年が多い気がするけど。
イグノーベル賞についてある人がラジオで、
「日本人ばっかり本気になってる感じにならないといいけど」
みたいな話をしてて、なんかあれっ?ていう。
別に狙って取りに行くようなもんでもないだろうし。
マジメに研究した結果が妙なかたちに出てしまったっていう感じで、
笑いも皮肉も含めて、スポットを当てよう的なものなんじゃないかな。
日本とイギリスが多いっていうのは、
自虐的なユーモアのセンスと、
損得で研究テーマを決めないところが似てるからなのかも。
利益を追求するだけならやるべきじゃないようなこととか。
あと「ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功した」っていうのも、
だから何?って言われても、そのためにやったわけじゃないんだろうし。
まあ、受章者一覧をずらずらって見てみたら、
まじめな研究をたたえてるものと、
トンデモ系の人を小バカにしてるものとがあるみたいだし。
だからといって、トンデモ系の人にしても、
イグノーベルをねらってやってるってことはないはずだと思うけど。
「池波正太郎 「自前」の思想」というのを読んでみる。
江戸時代や近代までは「世間」が飢えさせなかった、というんだけど、
それって「情けは人のためならず」で、
互恵的利他主義が成り立つ、せまい島国だったからでは?
グローバルかつ多文化共生になってしまうと、
そううまくいくとはなかなか思えない。
ダーティーとクリーン、ハトかタカかで、ざっくりわけるのもどうかと。
田中角栄氏が最近持ち上げられているのは、
トランプさんと同じ「反知性主義」のあらわれなんじゃないのかな。
ダーティだろうがクリーンだろうが、
ハト派だろうがタカ派だろうが関係なく、
ちゃんと国をまちがってない方向に導いてくれればいいんだから。
まして池波さんから引用するなら、
「人は悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」のほうが。
たとえ人間的に「善い人」であったとしても、
きれいごとだけでは政治家をやってはいけないだろうし、
「悪人」でも、国民に衣食住の不安を与えなければ善い政治家なのだろうと思う。
こういう人たちの本って、途中まではすんなり読めるのに、
いきなり話がおかしな方にねじれていくのはなんでなんだろう。
あと今日、もうひとつ気になったのは「良心」
気に入らない意見だからといって、発表の場を奪うのが「良心」なんだろうか。
今の自民党政権を「異論、反論を封じてしまって聞こうとしない。」
といって批判する人がいたけれど、
自分たちこそ「異論、反論、少数者の考えを強権で封じ」ようとしているのでは?
言論弾圧をすることが「良心」?
フィクションにはそうやって国を滅ぼす「善人」たちがたくさん出てくるし、
現実の歴史にもたびたび登場してくるのに、
なんでそこからは学ぼうとしないんだろう。
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