むし暑くてしんどい。からっと暑いほうがまし。
わりとくもってたけどそれでもしんどい。
何軒かまわらないといけないところで、
最初くもってたから、日なたでもいいかあ、と、
軽い気持ちで日なたの駐車場に車を止めた。
ちょっと長引いたら、晴れてて車はあっつあつ。
そのあとずっと暑かった。
ゆうべはうっかり「ETV特集」を見てしまう。
そもそも暴力で他人の考えを変えようって時点で、民主主義でもなんでもない。
まったく共感もできないし、冷ややかに見てたのだけど、
今になれば、やっぱりいろんなことを考えて、
それぞれに向き合おうとはされてるんだなあとは思った。
頭の中にしか存在しない”遠くの人民”よりも、
身近な人を幸せにしたいっていうのが印象に残った。
ベトナム戦争に加担したかどうかはよくわからないし、
それに今の日本人が”無反省”だからといって、彼らが正当化されるわけでもない。
でも、そう言ってた人が自然保護の運動をしているのは、
やっぱり身近なことからという思いなのかもしれないし、
自民党員(!)になっていたりするのは、
暴力よりも話し合い、ということなのかもしれない。
そのあと、なんとなくBSスペシャルも見てしまう。
あの映像、ディズニーランドの門の前で流せばいいのに。
空軍が独立するとかそういうことは関係なく、
ルメイのお孫さんが言ってたように、
ルメイがやらなくても、陸軍か海軍かのだれかが悪魔になったのだろう。
彼に勲章を授与したのは、皮肉とすれば最高のものだと思う。
戦争なのだからしかたないことだけれど、
それでも何十万人もの無抵抗な市民を虐殺した事実は消えないんだから。
戦争はしてはいけない、みたいな安易なまとめで終わるのではなくて、
戦争をするっていうのはこういうことになるんだぞっていう、
覚悟が必要だとちゃんと伝えるべきだと思う。
あと、おそろしいなあと思ったら、
焼夷弾が品切れで空襲が中断したというくだり。
1ヶ月で焼夷弾が間に合ったということは、
一生懸命、それを作ってた人がいるということ。
少し前に「科捜研の女」で風船爆弾のエピソードがあった。
戦時中に知らないで作っていて、
戦後になってその風船のおかげでなくなった人がいたことを知った、みたいな話。
アメリカで焼夷弾をせっせと作っていた誰かは、
そのあとで自分の作った焼夷弾が民間人、
お年寄りから女性やこどもまでを焼き殺したことについてどう感じたんだろうか。
心を痛めた人はいたんだろうか。
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