きょうはもうどこにも行かないって決めたら、
急にしんどくなって、
ほんとにどこにも行けなくなった。
こういう日もありか。
雨も降ってるし。やんだけど。
毎日1試合は見るというやつ。
おとといはペルーとフランスを見て、
ゆうべはアイスランドとナイジェリア。
やっぱりアフリカ系の人の身体能力には…
フランスもほとんどそんな感じだし。
裏に出されたら終わり、
前を向かれても終わり。
パスの出どころをつぶすか、
ゴールから遠いところでファウルするしかないのかな。
海外サッカーはほとんど見ないけど、
ファルファンとかカンテくらいはなんとか。
アイスランドはなんというか、
ずっと「優等生」って感じがしてた。
きれいな3ラインの4-4-2。
お手本のようなハードワーク。
それと、岡田さんが参考にするくらいの育成。
30万くらいの人口ってことは、
日本だと地方都市くらいの感じかな。
ハンドボールも有名らしいけど、
スポーツエリートを固めることもできてるんだろうか。
でも「優等生」だけではなかなか難しいのかも。
本も読んだ。
「司馬遼太郎と藤沢周平」
新潟県知事選で有名になった方の本。
どういう人なのかと思って。
藤沢周平が好きなら好きでいいはずなのに、
なんで司馬遼太郎をおとしめる必要があるんだろう。
なにかをほめるためには、
別のものをけなさないといけないルールでもあるのかな。
たぶん二人とも別のことを書こうとしていた作家さんで、
そもそもくらべる対象ではないと思うし、
庶民の目線と俯瞰の目線と両方あって、
はじめて歴史が見えてくる、とも思う。
『私は司馬作品が好きになれないし、
司馬に惹かれる人たちも好きになれない』
みたいなことが、くりかえし書かれていて、
日本を悪くしている人たちが司馬さんの本を読んでいるから、
司馬さんにも責任があるということなのらしい。
ひとりの作家にそんな影響力があるとも思えないし、
歴史は個人が動かせるものでもないと思う。
なんと言っていいのか。
自分がキライだから、ほかのみんなもキライになるべき、みたいな。
いじめっ子がまわりを巻き込んでいくような感じ。
こういうのって、嫌悪感しか感じない。
自分の意見はいつも正しいんだから、
反対してくる人はみんな敵。
いわゆる「こんな人たち」って、
人はみんなそれぞれ自分の意見を持っているっていう、
すごくあたりまえのことを、
なんで認めることができないんだろう。
「市民」っていう言葉の使い方がカギなのかも。
で、この人の発言のせいで、
無党派層の票が対立候補に流れたってこともあったんだろうな。
それと、誰かを汚い言葉で批判すれば、
だいたい同じくらいは反発されるのが世の常。
自分がそうなるのが覚悟の上なら、好きにすればいいんだろうけど、
応援演説でそれをやってしまうのは…
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