きょうは満月。
と思ったら、夕立みたいな雨が降った。
と思ったら、あられかひょうか知らないけど、
いたいくらい降ってた。
なのに、今はきれいに月が見えてる。
こっちはきのう雲の切れ目で撮ったやつ。
どっちか満月かこのカメラではわからないみたい。
まあ、なんかクリスマスって感じではない。
ゆうべだって「雨から雪に変わるでしょう」みたいな、
天気予報だったのに、結局、じとじと雨降っただけだったし。
結局、チキンもケーキも食べてないし。
いなりずし食べてた。
あ、クリームシチューにとり肉入ってたっけ。
「明石家サンタ」って、毎年結構楽しみにしてて、
最初はおもしろいなあと思って見てるんだけど、
終わったあと、「うーん」ってなる。
なんか、これじゃないって感じ。
ゆうべのだと、マツコさんや内田選手に気をつかってたり、
子どもの相手を一生懸命してたりしてるうちに時間が過ぎる。
前は、すぐ切られる人がたくさんいたり、
八木さんいじりもあったり、もっとテンポよかった気がするんだけどなあ。
西田敏行さん似の39才の人の話くらいで笑うのがちょうどいい感じ。
別に人の不幸を喜びたいわけじゃないから、
ほんとの犯罪の話とか、生き死ににかかわる話とかってちょっと重くて。
ああいうのを持ってくるスタッフのほうがどうかしてる。
「世界の名著」はチェーホフのかもめ。
「100分de名著」でも見たけど、
演出家の方の切り口ってまた違ってておもしろかった。
テレシコワの「ヤー・チャイカ」って、ここからきてるんだ!って、
わくわくして調べてみたら、そういうことでもないみたい。
人に言わないでよかった。
「かもめはかもめ」っていう歌もあったし、
「ふたつのスピカ」でもかもめちゃんとか、
なんかロマンティックなイメージはあるような。
いつもゲストの方が残す最後の言葉なんだけど、
「人生とはなりたかった自分を探す旅」
なんで過去形なんだろう。
良寛さんの「100分de名著」も最後まで見た。
しようがない、っていう言葉をなんかで最近知ったんだけど、
なんかそれとつながってる気がした。
自分をごまかさずに、事実を事実として受け入れる。
それは受け身になるのではなくて、主体的に選び取ること。
ではあるんだけど、良寛さんがそういう生き方を選んだことで、
弟や甥が不自由な生き方をして、きゅうくつに生きざるを得なかった。
だから、良寛さんには二人を説教することができなかったっていうのも重いなあ。
人が人を変えさせることなんかできないっていうのもわかってたんだろうし。
いまどきは、自分自身はが変わらないまま、
人のことだけを変えようとする人は多いけど。
サルトルの回のことを思い出した。
とりあえず行動しろ、とか、意見表明しないことは罪、みたいなこと言ってたけど、
やみくもに態度表明しないことも、動かないことも選択の一つだし、
他人の意見を本当に尊重してたら、
上から目線で人の気持ちを変えようなんて思えないはずなんだよな。
さびしさ、とか、かなしさ、とか、
老い、とか、病い、とか、
すべてをあるがままに受け入れること。
日本人の災害や苦難に対する姿勢が、こういうところにあらわれてるように思う。
人のせいにしない、とか、
個人、個人としては、だまって運命を受け入れるって感じ。
ところが、家族のためとかなら、考えられない行動をとったりする。
そのへんが「神風」と自爆テロの違いだと思う。
「神風」ってたぶん自分のためにしたわけではないから。
残してきた家族や愛する故郷を守るためなら命を捨てることもしかたがないっていうか。
靖国であおうっていうのも、天国に行けるとか、そういう意味合いではないように思うし。
なかなか違う文化の人たちには理解してもらえないかもしれないけど。
多文化共生って、こういう日本人の考え方も、
当然、尊重してもらうのが前提だと思うんだけど、
この言葉を使いたがる人って、あんまりそういうとらえ方はしてない気がする。
100分de平和論っていうのが放送されるみたいだけど、
なんか「現代を代表する気鋭の論客」っていう人選が、
あきらかにずいぶん狭い世界の片側の「現代」を代表してて、ちょっと。
報道ステーション、NEWS23に人事異動があるみたいだけど、
こういうことばっかりやってきたことで、
視聴者のTVっていうものに対する信頼を減らしていった結果なんじゃないかな。
物事をいろんな切り口から紹介することが、マスメディアの存在意義だと思う。
片面からしか紹介しないのなら、CSの有料チャンネルで支持者に向けてやればいい。
基本的には「100分de名著」って、すごくいい番組だと思うから、
おかしな方向に進まないで長く続いてほしいんだけどな。
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