TBA

(仮)

読めはするけど わからない

2019-01-13 | 本と雑誌

カゼひきの人間がいるから、ずっとうどん。

カゼがなおるまで、ずっとうどん。

もう飽きてきたけど。




ゆうべはカゼひきの人を見ながら「ふしぎ発見」


最初はおもしろいなあと思って見てたんだけど、

「統一と多様性」って…プロパガンダ?

表現の自由も報道の自由もないような、

今のあの国がやってることを見て、

多様性なんてストレートに出していい言葉なんだろうか。

オリンピックの開会式でもなにをやってたことか。

台湾や香港のことを考えると、

「武力統一」を肯定してはいけない、っていう言葉も怖い。

とはいっても「武力」ではないやり方で浸透してくるのも、

まさかこういう番組にまで、と思うと本当に恐ろしい。


というか、民族によって色を変えるのが多様性?

同じ国民なら色を変えないほうがいいのでは。




「原子爆弾とジョーカーなき世界」を読んだ。

少し古い本とはいえ、別の世界の話かと感じるくらい、

ほとんどわからなかった。


知ってる作品でもそんな話だったっけと思ったし、

知らない作品の場合はもっとわからなかった。

こういう評論を読むと、知らない作品なら、

見てみようかなあと思ったりするもんなんだけど、

一面的な見方を強調されてる感じで、あまりそういう気にもならない。


たぶん、この方の考えに合わせて読み解いておられるのだろうけど、

いろんな作品の中からその考えにあう部分を切りだして、

ほら、ここにも描かれてるって言われてる感じで、

それはそうだろう、としか。

その考えに共感できない人は、ついていけないんだろうな。


昼の世界 夜の世界とか、新しいホワイトカラーというのは、

結局「ここではないどこか」「いまいないどこかにいるだれか」を、

探しているようにも思えた。


「インターネットから本来の自由を取り戻すための作戦会議」

っていうのもそうなんだけど、

知ってる言葉なんだけど、どうやら新しい意味を持たされてるみたいで、

なにを言いたいのかすぐにはわからんというのも、

なんかこう、ついてこれないやつは知らん、的な、

一見さんお断りみたいな間口の狭さを感じる。


ツイッターを見ても、そういう感じ。

身内だけでわーっと盛り上がってるような。

ツイッターというのは、わりとそういうものなんだろうけど、

社会を変えよう、という意識なのなら、

公になってるところで排他的な感じを出すのは…

今、もろ手をあげて賛成ではないからといって、

その人たちが敵だというわけではないのだし。


ツイッターってこわいなあと思う。

TVでよく見る評論家の人でも、意外にきついなあと思わされたり。

ろくでもない人たちが突っかかってくる、というのはわかるんだけど、

それを反射的に打ちのめすのはマイナスしかないのでは。


ニュートラルな人もそのやりとりを見ることはできるんだし、

よっぽどうまくやらないと、

有名人の人にとってはプラスマイナス難しいところなんだろうな。

そもそも「デカい声」の人には必要ないものなんだろうけど。

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