さむいさむい。
きょうは温度的にはそれほどさむくないはずなのに、
ふつうにさむい。
雨降ってたし、湿度も高いのにさむい。
一週間ばたばたしてさすがに疲れたのか、
あたまがいたくてくすりをのんで寝たら、
7時に目がさめた。
いちおう、すっきりはしてたのだけど、
さすがに意味もなく早起きはしたくないので、
もう一回ふとんに戻る。
結局、寝られなくてふとんの中でごろごろだらだらしたあげく、
10時半くらいに起きる。
これは7時に起きたってことにしといていいんだろうか。
どうせ起きたってなにをするわけでもないし、
着替えてごろごろして本読んでても同じことなんだろうけど、
ふとんの中でごろごろしてたっていうのは、
どうしてもだらだらしてたような気になる。
まあ、どうでもいいことではある。
例のオフレコ問題あたりから気になってるのは、
「嫌い」イコール「差別」ってことではないのではないかっていうこと。
まあ、どうあれこうあれ信用が置けない他人の前や、
公の場でなにかを嫌いって言ってしまっても、
得なことなんかなにもないので、
かしこいひとは「にがて」とか「not for me」とか、
言い換えたりするわけなんだけど、
だからといって、なにかを嫌いであることがいけないわけではないし、
世の中に存在するすべてのものを好きにならなければいけないわけでもないはず。
まして「○○を嫌ってはいけない」などという法律を作っていいわけがない。
内心の自由とか信条の自由とかを、
ぐしゃぐしゃに踏みにじりかねないんだから。
で、「嫌い」とか「イヤ」というのを叩くのと、
法制化するのはまったく別の問題だと思うし、
一部の人たちはなんかそのあたりをわざとぐちゃぐちゃにしているような気さえする。
あと、G7がどうのっていうのなら、
G7で核を持ってないのは日本だけ、という理屈も成り立ってしまうのでは?
多様性、とか言いながら、
結局、多数だから同調せよって言ってしまう矛盾。
「同調圧力」ってどういう意味で使ってたっけ?
そういう人たちって、
正しいとかまちがってるとか、先進的とか後進的とかレッテルを貼るのに、
自分たちの都合のいいように好き勝手に基準をずらしてしまうから、
なかなか共感も支持を得られないのではないのかなあ。
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