
関西に行くたびに甲子園に行きたくなるのは、本来は「阪神ファン」だからでしょう。 ということで今日は夕方からそわそわして試合終了までい落ち着かず、というところです。 自宅に着いてから試合終了まで在庫してたビールがかなり減りました。
画像は工事中の甲子園駅と5000系、二条駅のように大きな屋根がついてます。 阪神電車も好きなわけですが模型化には恵まれずフェニックスのキットが発売され中間車と先頭車が1台ずつ、どこかにしまいこんでます。 カツミが大阪に進出しても人気があるのは阪急と近鉄。 早い時期に冷房化率100%を達成した阪神電車にも目を向けて欲しいわけで、阪神電車のクーラーと西宮の「つばめや」で求めたブリキのスハフ12のクーラーが同じなのを不思議に思ったのも遠い思い出になりました。
待ちに待った運転会、再出発です。 台風で線路・機器搬入時は曇り空でしたが設置を開始したら雲行きが怪しくなってきました。 参加者が少ないことを見込み複線にしました。

新車、実車は改造車のサロ110 901です。 思い出せば甲子園口で見たときに欲しいと思いながら40年以上、平成に代わる年末に堀切のフェニックスでサロ153 900にキットを求め四半世紀、そしてカツミの店頭であっさり予約して約半年、やっと走らせることができます。

両端に普通車で挟んだ7両編成にします。 参加者が来るまで一人で昔の思い出に浸ります。 京阪神間の快速列車のグリーン車の廃止が55-10回生前の8月、その頃は和歌山に住んでおり最後の姿は見れませんでしたが、末期には冷房化されました。 しかし自分が見たのは非冷房ですのでこのサロ110も非冷房です。 阪神が100%冷房化達成したから冷房化されたのでしょうか。 汎用性があったのかAU-12が搭載されましたが、阪神も同じ形の私鉄向けMAU-12が搭載されました。

編成にします。 後モハが1ユニットとサハが欲しいのですが、このサロ110だけLEDの室内灯なので他の普通車が電球式なので見劣りがします。 こちらの更新工事が先です。
定刻に兄さんがきて、地元のMさんも懐かしい模型をもって参加。 兄さんの編成モノも見事ですがMさんの懐かしい南武線も魅力でした。 むしろ旧型国電の方に目が移ります。 Mさんは自分と同じ歳ですが地元の方なので子供の頃から南武線の電車を見てるので「電車」の世代、しかし自分は3歳まで宮崎に住んでパンタグラフがついた車両を見たことがなく「電車」「汽車」と呼び方の違いがあります。
3名でさやかな出発ですがNゲージも参加予定なのでこれからも末永く続けていきます。 思えば1994年10月に開始、休止期間あれど20年目を迎えました。

新車、実車は改造車のサロ110 901です。 思い出せば甲子園口で見たときに欲しいと思いながら40年以上、平成に代わる年末に堀切のフェニックスでサロ153 900にキットを求め四半世紀、そしてカツミの店頭であっさり予約して約半年、やっと走らせることができます。

両端に普通車で挟んだ7両編成にします。 参加者が来るまで一人で昔の思い出に浸ります。 京阪神間の快速列車のグリーン車の廃止が55-10回生前の8月、その頃は和歌山に住んでおり最後の姿は見れませんでしたが、末期には冷房化されました。 しかし自分が見たのは非冷房ですのでこのサロ110も非冷房です。 阪神が100%冷房化達成したから冷房化されたのでしょうか。 汎用性があったのかAU-12が搭載されましたが、阪神も同じ形の私鉄向けMAU-12が搭載されました。

編成にします。 後モハが1ユニットとサハが欲しいのですが、このサロ110だけLEDの室内灯なので他の普通車が電球式なので見劣りがします。 こちらの更新工事が先です。
定刻に兄さんがきて、地元のMさんも懐かしい模型をもって参加。 兄さんの編成モノも見事ですがMさんの懐かしい南武線も魅力でした。 むしろ旧型国電の方に目が移ります。 Mさんは自分と同じ歳ですが地元の方なので子供の頃から南武線の電車を見てるので「電車」の世代、しかし自分は3歳まで宮崎に住んでパンタグラフがついた車両を見たことがなく「電車」「汽車」と呼び方の違いがあります。
3名でさやかな出発ですがNゲージも参加予定なのでこれからも末永く続けていきます。 思えば1994年10月に開始、休止期間あれど20年目を迎えました。

予約したのを引き取ってきました。 手持ちではエンドウのCN-16をLN-14に換装したのがありますので原型の朱色にするつもりはなく、それ以外の塗装を考えてます。 烏山線の一般色もいいのですが、これは遥か前に和歌山でキユニ28で見ています。 なぜキユニ28が一般色なのは昭和52年度改造だからとか。 首都圏色の気動車を初めてみたのが「ゆうひがおかの総理大臣」で川越線でロケでした。 そして当時住んでいた津でキハ35 180が転属してきました。 首都圏色に塗り替えられてましたが、翌年、和歌山に引越てキハ35や45の首都圏色を見ました。 和歌山線は電化の予定があったのでキハ40系の配置がありませんでした。 当時関西でキハ40系をみたのが山陰線でエンドウの模型と比べてはるかにスリムだったキハ17との置き換えでした。 手持ちのキハ17ははるかに後の製品でこれもLN14を搭載してます。
首都圏色にしないのなら、どうするかというと長崎のキハ40 2062にするのでキハ26 400の首都圏色と編成を組む予定です。 問題は下回りで値段が高いのは床板を切り出す手間を考えたら安くつくのか、判断が分かれるところでしょう。 、

「ひかり」ました、「こだま」しました、国鉄時代の新幹線のコピーです。 今日で50年「のぞみ1号」の出発が報道されてました。 1週間前に乗りました。
東海道・山陽筋で見れば10年足らずで岡山に伸び、ちょうど10年で博多まで延びました。 そして民営化になりとうとう九州は鹿児島まで到達しました。 開通当時は第二次世界大戦のときの技術を転換したものでしたが、今は更に発展したしたものになりました。 航空機の技術の転用ですが、開通当時は「鉄道」の建前で「特急には食堂車」が必要で半室そして博多開業に至り全室、国鉄末期には2階食堂車になりましたが、今は速度の向上と共に見られなくなりました。 航空機と考え方が近くなったのでしょう。
自分が最初に新幹線に乗ったのは幼稚園に入る前でした。 「初めての東京」で京都から乗り上野から黒磯の叔父のところに行った時に神田から斜めに伸びる道(中央通)や茶色い古い機関車(EF57)が記憶にあります。 そして受験、上京、親族のことなどで頻繁に利用するようになりました。
さて次回は久しぶりに山陽路に出かけたいと思います。