
関西に来ると「国鉄時代」の車両を見る機会が多くなります。 この顔も懐かしくなりました。 西九条です。

京都駅の上屋を流用した展示設備です。

ここに保存されていたのですね「大阪鉄道管理局」。 この7文字が重いです。
戦前の「大阪タイガースの歌」【六甲颪】の「大阪」で「大阪鉄道管理局の球団」のように聞こえるのは、隠れ阪神ファンの贔屓目ですかね、しかし国鉄は中央集権ですから「国鉄」は東京なんです。 青函連絡船も船名の下に「東京」とありました。 因みに阪神電車は大好きです。 模型も仕掛が2両あります。 阪神は100%冷房化を早めに達成しましたが、旧国鉄と同等品のクーラーを使いました。

キハ81、和歌山からやってきました。

ナシ20、駅弁の販売・食事用です。

「こうや」号、キハ81と並ぶ帝國車両の傑作です。

悲運の機関車DD54、部品の互換性がなく補修部品を作るのにもドイツ本国の許可が必要で、挙句の果てには国会で取り上げられ大問題になった機関車です。




4両の新幹線はどうなるのでしょう。
2時間見学しましたが、父に連れて行ってもらった小学生の頃ですから40年以上まえでした。 交通博物館から移動したジェットエンジンがありましたら、資料の行く先が心配になります。 特に鉄道に特化するので貴重な資料がどうなるのでしょう。
交通科学博物館を後にして日本橋で半導体の買い物、そして新幹線で帰りました。
早めに行動を開始します。 祇園から四条通りを西に向かいます。

関西出店の噂があるのか無いのか、建物はありますが模型店でもなく中華料理店でもなく紳士服量販店でもなくコーヒー店が入ってます。 因みに自分が向かってるのは朝食を兼ねてコーヒー店ですが、ここではありません。

錦の古い銭湯です。 この後は墓参り、そしてバスで今出川のマツモトと地下鉄で八条口に寄りましたが欲しいものは無く、西日本に乗ったのはいいのですが大阪で下りてマッハは休みだったのを思い出し、阪神電車に乗りたくなったので尼崎で乗り換え甲子園口で改札を出ます。 甲子園口の駅舎が立替工事中でした。

大力食堂で小盛で食事、六甲模型に行くことにしまうs。

新在家で下車、三ノ宮までしばらくかかりますが六甲山が迫ってるのでJR-阪神間の距離は甲子園口-甲子園ほどの距離はありません。 阪神国道を渡れば六甲山をバックにJRの高架が見えます。

六甲模型で欲しかったものがあったので買い込みました。 六甲道の商店街の焼き鳥屋にいきます。 10年近く前にNHKのプロジェクトXで阪神大震災で復旧工事が放送されたときにご主人が出演されました。 ご主人に会えませんでしたが、奥様がお店を切り盛りされてます。
かなり(?)呑んで三ノ宮へ天然温泉に入ります。

関西出店の噂があるのか無いのか、建物はありますが模型店でもなく中華料理店でもなく紳士服量販店でもなくコーヒー店が入ってます。 因みに自分が向かってるのは朝食を兼ねてコーヒー店ですが、ここではありません。

錦の古い銭湯です。 この後は墓参り、そしてバスで今出川のマツモトと地下鉄で八条口に寄りましたが欲しいものは無く、西日本に乗ったのはいいのですが大阪で下りてマッハは休みだったのを思い出し、阪神電車に乗りたくなったので尼崎で乗り換え甲子園口で改札を出ます。 甲子園口の駅舎が立替工事中でした。

大力食堂で小盛で食事、六甲模型に行くことにしまうs。

新在家で下車、三ノ宮までしばらくかかりますが六甲山が迫ってるのでJR-阪神間の距離は甲子園口-甲子園ほどの距離はありません。 阪神国道を渡れば六甲山をバックにJRの高架が見えます。

六甲模型で欲しかったものがあったので買い込みました。 六甲道の商店街の焼き鳥屋にいきます。 10年近く前にNHKのプロジェクトXで阪神大震災で復旧工事が放送されたときにご主人が出演されました。 ご主人に会えませんでしたが、奥様がお店を切り盛りされてます。
かなり(?)呑んで三ノ宮へ天然温泉に入ります。

マンネリ化してきましたが続けます。 元「青大将」のEF5889です。 先日、天賞堂から青大将の「はと」が発売されましたが、オシ17欲しさに購入してしまいました。 「高千穂」にオシ17とナロ10を使いますが、荷物車と展望車は行き先がありません。 その上にトミックスから10系寝台セットで新たにオシ17を発売とのこと、ナロ10だけにすれば良かったと思いますが後の祭り。
父の話では昭和39年の年末に乗った「高千穂」では「大分からの食堂車が連結されるはずだったけど無かったので、夕食は駅弁だった。」とのこと。 当時の時刻表を松屋の模型ショーの即売会で購入して見たら「12月27日以降は食堂車を座席車に置き換え」とありました。

後追いです。 20系の妻板のディテールの参考に、KATOの完成品と比べてみましょう。
大寒に入りましたね、節分をすぎれば春がやってきます。
ビールの工場が駅名の由来になった駅です。 自分は七草の過ぎた西宮神社の十日えびすが思い出です。 屋台が出てて栄螺のつぼ焼きをうまく食べさせてくれました。 小学生の頃ですから酒飲みには程遠く工場見学でアサヒビールでビールの製造工程を見ましたが、その臭いに耐えられず今はその匂いがなくては生きていけずです。 恵比寿駅も西ノ宮駅もビール工場があり、西ノ宮駅の専用線には入換用の機関車が3両つながって停まってて、ワム80000が数量とタンク車がいました。 更に東側の甲子園口の方に住友セメントの施設があり、セメント用のタンク車がいました。

クモヤ143です、前にクモル+クルがつながってます。 貨物線にホームがなかった頃です。

クルの写真を撮影しようと思いましたが、出発時刻になってしまいました。

仕方がないので後追い、山手線がかぶりますがモータードライブを駆使してさらに1枚。

クモヤ143の右側、線路の外側に小さなプレハブの小屋が見えます。 これは転轍手、転轍機を操作する係員の詰所で恵比寿駅は継電連動化されてなかったのです。 今は様変わりした恵比寿駅の遥か昔の様子です。
ビールの工場が駅名の由来になった駅です。 自分は七草の過ぎた西宮神社の十日えびすが思い出です。 屋台が出てて栄螺のつぼ焼きをうまく食べさせてくれました。 小学生の頃ですから酒飲みには程遠く工場見学でアサヒビールでビールの製造工程を見ましたが、その臭いに耐えられず今はその匂いがなくては生きていけずです。 恵比寿駅も西ノ宮駅もビール工場があり、西ノ宮駅の専用線には入換用の機関車が3両つながって停まってて、ワム80000が数量とタンク車がいました。 更に東側の甲子園口の方に住友セメントの施設があり、セメント用のタンク車がいました。

クモヤ143です、前にクモル+クルがつながってます。 貨物線にホームがなかった頃です。

クルの写真を撮影しようと思いましたが、出発時刻になってしまいました。

仕方がないので後追い、山手線がかぶりますがモータードライブを駆使してさらに1枚。

クモヤ143の右側、線路の外側に小さなプレハブの小屋が見えます。 これは転轍手、転轍機を操作する係員の詰所で恵比寿駅は継電連動化されてなかったのです。 今は様変わりした恵比寿駅の遥か昔の様子です。
7日間の昭和が終わり平成へ、元号が変わり自分の生活も変わり、それとも戻ったのかですが。

三鷹電車区-大井工場への配給でしょうか、クモル+クルの編成とスレ違います。

もうナハフ11は連結されません。 恐らく東日本に引き継がれんかったのでしょう。 回送する車両がないときは標識板がつきます。 カートレイン中間車のナロネ21で貫通路が塞がれてません。 妻板のディテールがよくわかります。

参考までに貫通路が塞がれるとこのようになります。 撮影は尾久です。 関西から出てきた頃「尾久客車区は上野と赤羽の間」と聞いてたので京浜東北線で赤羽まで行きましたが客車の姿はなし、赤羽で駅員に聞いたら「東北本線の乗り場」と言われました。

三鷹電車区-大井工場への配給でしょうか、クモル+クルの編成とスレ違います。

もうナハフ11は連結されません。 恐らく東日本に引き継がれんかったのでしょう。 回送する車両がないときは標識板がつきます。 カートレイン中間車のナロネ21で貫通路が塞がれてません。 妻板のディテールがよくわかります。

参考までに貫通路が塞がれるとこのようになります。 撮影は尾久です。 関西から出てきた頃「尾久客車区は上野と赤羽の間」と聞いてたので京浜東北線で赤羽まで行きましたが客車の姿はなし、赤羽で駅員に聞いたら「東北本線の乗り場」と言われました。