最後に乗ったのが40年前の加悦鉄道でした。 やはり気になるのがキハ50→キハユニ17です。 また島原鉄道のキハユ17の画像もあり。 今月も終わり、今年も半分経ちました。
今週発売分です。
「みずほ」は博多「あさかぜ」と共に94年に廃止されました。 廃止前に乗りましたが閑散とした列車でしたが、新幹線で返り咲きました。
昨日の興奮が冷めた雨の甲子園、枝川を埋め立てた甲子園筋は路面電車が走ってました。 唯一の黒字の路線でしたが、車庫の関係で国道線と共に廃止されました。 個人的には武庫川線を武庫川団地から延伸し浜甲子園から今津浜まで伸ばしても良いと思います。 今津まで延伸して阪急に乗り入れし西宮北口まで乗り入れれば西宮市の交通網もかわるかなと考えてしまいます。 嵐電のように宅急便輸送にも良いのかもしれません。 画像は甲子園線の架線柱の跡です。
この下を路面電車は走ってました。「野球の街」の印象の甲子園ですが、本来の姿は閑静な住宅街です。
日本橋に出ます。 スポンサーの看板です。 早めに帰ろうと思い、例の小田原周りでロマンスカーで帰るつもりでしたが、地元の事故で運休。 新横浜から地下鉄とバスで帰ればよかったと後悔しました。
朝食は、いつものコーヒー店で。
「スチーム号」は本日のみDE10ですが、
自分はこっちの方が良かったです。
12系客車を観察、
12系は冷暖房の電源はスハフ12の発電機ですが、照明は車軸発電機から賄われます。 改造なのか車軸発電機は撤去されてました。
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台車はグレーでした。
「スチーム号」に乗車、懐かしい室内、「山陰」の片道は座席車でしたので思い出しました。 そして民営化されてからは「日南」の夜、
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昨日は延長戦引き分け、今日はどうなるかと思いながら甲子園に向かいました。 今夜はたまたま甲子園のホテルがとれました。 しかし当日の観戦券はとれず、
試合終了に備えて、甲子園駅は応援の職員がホームのところどころにいます。
試合前の43号線(第二阪神国道)を潜り球場へ、トラがたくさんいます。 球場で観戦できないなら居酒屋に行くにもどこもいっぱい、ビールを買い込みホテルに戻りサンテレビ(おっサンテレビ)。 球場のそばなのでせめて雰囲気を感じようと窓をあけたら熱気がすごい、そして7回くらいから大雨。 今夜は最高の夜でした。
叔父に「泊まれよ」と言われながらも気遣いするのと今日は目いっぱい休みたいのでホテルへ。 チェックアウトを遅めにしたので朝食後はのんびりと、そして昼から外出です。 明日は梅小路。
阪神の赤胴車・青胴車の廃止を聞いてから同じ形式のクーラーを使ってる「旧国鉄型」の12系客車の廃車も近いと思ってました。 2月に関西に行ったときはほとんど青胴車は運転されてませんでしたが、梅小路で展示があるので見に行きました。
例の通り奈良線に乗り換えて東福寺から京阪で四条(祇園四条)で降ります。 知恩院の前を通って、
一本橋を渡って商店街へ、そして母の実家に行き叔父に会って向かいます。 そして母の墓参り。
今日は夏至です。 夏至ですので昼夜走った車両を。 日曜日に運転会をやるので準備します。
モハネ582は室内灯が外れてたので再度取付しました。
クハネ583の床下は後日。
ホームをくみたててみましたが16番との大きさの違いを感じます。 無塗装のプラの質感が今一つですので塗装します。
本日発売分です。
下りの「山陰」も「さんらいず出雲」い出雲市到着が10時前後です。 管理局がある米子に着くと日が高く車窓から機関区を見ることができます。 夏場はDE10のヘッドがおいてあったり、今はカラフルな気動車があったりと楽しい風景が広がります。
大雨でしたが、買い物のついでに空いてると思い呑みに行きました。
長州名物「フグひれ酒」、薩摩の血を引きながら焼酎は苦手で日本酒好き。 母校の創立者は長州の人。
刺身の盛り合わせ、おいしいので満席でした。 大酒しましたが乗り越しせずに帰れました。
今朝の報道で新潟地震60年と報道され、元旦の能登地震もり地元では体験者を交え対策が検討されてます。 画像を見れば陸橋の下敷きになったキハユニ172が見れました。 また最近の鉄道ファンはトラブルを起こしすぎと思います。 大宮車輛所で物販で騒動が起こり警官まで出動する騒ぎになったとか。 撮影での怒号と言い、写真が大衆化した成れの果てと思います。
昨日は、外周にループを作るので左分岐を求めました。