そういえば去年の今頃は「サンライズ出雲」に乗って「やくも」で折り返してました。 電車は速いです。 しかし昭和59年当時「山陰」が京都2200発・出雲市1000着、「サンライズ出雲」が東京2200発・出雲市1000着、「山陰」に乗り継ぐのに東京を1830には出発しなくてはならず、早くなったもんです。 その昔交通安全の標語で「狭い日本そんなに急いでどこえいく」という言葉が旗りましたが益々狭くなりました。
本日発売分です。
「能登」といえば池袋の西口にそんな名前の飲食店があったと思いますが、列車の「能登」は福音館書店の「やこうれっしゃ」があります。 この画像の在来型の客車時代でスニ41に荷物を積み込む場面に始まり金沢にEF58が到着します。
もう一つの「能登」の思い出は祖母の葬式が終わって帰るときに廃止直前だったので京都駅で時刻表を見たら「雷鳥」に乗って「能登」に乗り継げることが分かり日本海側を回って帰りました。 しかし家に帰ったら弟がいる、お寺で「帰ろう」と言ったら従妹と話し込んでたので先に帰ってきました。 「兄貴のことだから休みをとってるので大人しく新幹線で帰ることはない。」と思ったらしく遅くなったので「銀河」に乗って帰ると思ったようです。 そこで弟も「銀河」に乗り車内放送で探したようですが自分は乗ってない。 弟は「兄貴はケチだから特急料金を出して出雲に乗るわけない。」と読まれてましたがまさか日本海側を回って帰るとこまでは気が付かなかったようです。 碓氷峠を下る客車列車に乗ったのは最初で最後でした。