昨年、呉市海事博物館、大和ミュージアムにいきました。 そこで「これまでの日米関係」について論じられ、「アメリカは日本を国交を求めてきたのであり、植民地化を考えていたのではない。」と論じられ井伊直弼のことも出てきました。 桃の節句の登城の途中、桜田門外で倒れましたが太陽暦では3月24日なので今日になります。
都内に用事があるので桜田門に向かいます。 小田急に乗りますので墓所の豪徳寺を通ります。 永田町で降りて憲政記念館から桜田門にむかいます。
彦根藩の江戸屋敷の跡です。 ここから桜田門にむかいます。
桜田門を見ます、時刻は9時前で「この時」が近づいてきます。 156年前は雪が降っていました。 今日も冷え込んでいますが、30年前の3月23日が大雪で電車が止まり職場に足留めされました。 関東地方は彼岸明けは大雪がふることがあります。
桜田門です。 途中で香の香りがしました、どこかで井伊直弼を弔っているのでしょうか。 警視庁が見えますが156年前の今頃はこのあたりは大変だったでしょう。
井伊直弼が通れなかった桜田門です。
裏はこんな様子です。
朝食がまだなので有楽町に向かいます、第一生命館が見えてきました。
大和ミュージアムの特別展示で日本とアメリカの関係について考えてましたが、桜田門外の変は大事件だったのです。 開国して二度目の世界大戦で日本の敗戦から経済大国に至り、今の世の中を井伊直弼は豪徳寺でどのように思っているのでしょうか。
母方の祖父が彦根の出身で侍だったことから彦根には縁があります。 また祖父が五月人形の職人で彦根では戦国時代に鎧を作っていたが、太平の世の中になり仏壇に産業転化しました。 ちょうど日本の敗戦後に似ており、航空機産業が鉄道や自動車産業になったり、電化製品も軍事技術の応用です。 そして大和の技術も造船に応用されています。
彦根は軍事技術の産業転用の魁だったのです。 赤ん坊の頃から祖父の仕事場に出入りしていましたが、あらゆる工作は見よう見まねで覚えました。 その元は彦根にあったのです。