受験を控え、昭和55年の夏に予備校の夏期講習に2週間ほど世田谷の叔母の家から高田馬場の予備校に通いました。 修学旅行以来、3年ぶりの東京でしたが地方でそれなりにできても実際の受験はかなり難しいと痛感しました。
「お上りさん」ですから授業の無い日は当然「観光」ですが東京タワーや国会議事堂や皇居や上野動物園遊園地を巡るコースではなく模型店巡り、神田のカワイモデル、堀切菖蒲園のフェニックス、魚籃坂のカツミ、新宿の天賞堂にいきました。
カワイモデルに「高尚な、、、、、」の看板や店頭にレイアウトがあった頃で神田から中央線で新宿に戻りましたが101系が非冷房でした。 しかしそれほど暑いとは感じませんでした。
後で調べたら昭和55年は冷夏でした。 その13年後の平成5年も冷夏でした。 その年は祖父母が相次いで死に、その翌年コンビニエンスストァでアルバイトをはじめ弁当やおにぎりの米が国産か外米かでレジが滞ってたのを思い出しました。