先日、KOKに連絡を取ったときに「京都大丸の鉄道模型売場閉店。」のお知らせを頂きました。
思い出せば1970年のお盆、母方の祖父に「汽車が欲しい」とプラレールをねだり、高倉まで観音開きのクラウンを飛ばし玩具売場にいけば祖父の顔が利いたので(祖父は人形の職人)、「ここでっせ」と案内され電池の変わりにコンセントから電気をとる汽車になりました。 12Vで動くので祖父曰く「車の電気とおなじや。」(戦争中は陸軍・トヨタに勤務、それも電装)と、いとも観単にうごかしました。
その年の冬、「おとしだま」の名目の車両増備、大雪の京都をクラウンで出動、「用事やってから大丸いくからな」と千本通りを北上すれば立派なお堂、「このお寺なに?」と祖父に聞けば「駅や」、雪の中で大きな赤い貨車を見つけ「これほしい」「よっしゃ」と大丸へ。 立派なお堂は二条駅、大きな赤い貨車はク5000です。 観音開きのクラウンに乗ったのはこれが最後、母が産院で自分を出産し実家につれて帰って以来の付き合いでした。 この年、観音開きはクジラに代替わりして最後に137になります。
クラウンの解説になってしまいましたが、たくさんの思い出をつくってくれました。 年の瀬の祖父のお通夜の日、好物だったコーヒーと花を求め京都駅から四条でおりて錦で花を求め、途中で大丸により思い出の模型売場にいけば関東では品薄になってたエンドウのオハ14が並び、財布の中はその夜の「銀河82号」の指定席券。 コーヒーを仏さんにに供えその夜は一睡もできずでした。
自分の鉄道模型の入り口でした。 卸部門はそのまま残るとききます。 画像は堀川三条の店舗があったころです。