どうも、最近、痛いが続いているのだけど
そういうものなのか?
なんか、損をしているような気がするのだ。
ま、私は痛いには正直な人間なので
だいたいは病院に行って、診てもらう事になるのだ。
病院は子供の頃はほとんど行った事がなかったなぁ、っていうか
相当に大人になっても長らくは寄り付きもしなかったものだ。
それが、この変わりようだ。
やはり、死ぬ間際まで行くと、生きることに固執をするのだろうか
っていうか、痛いのが嫌いなのだ。
嫌いなものはさっさと走り去ってほしいものだけど。
あぁ
『憎まれっ子、世にはばかる』だっけそういう事になっているのだ。
憎まれることの無い私ははばかれないのだろう。
私の知っている憎まれっ子ははばかっているものなぁ。
昔からの言葉は正しいものなのだ。
あえて、早起きは三文の得、あれは怪しい。
早く起きて中野富士見町駅に行っても
いっつも、長らく待たされるし、中野坂上に行くと
どういうわけか荻窪行きじゃなくて
乗ってきたばかりの中野富士見町行きがやってくるのである。
一度などあわてて乗ってしまい
中野新橋であわてて降りたことがある。
早く起きて早く駅に行ってもロクな事にはならないのだ。
昔からの格言も、今のような交通を考えていなかったのだろう。
時代遅れの言葉も沢山ある中には埋まっていたりするのだ。
言葉のチョイスは大切だ。
何かの時に思い浮かぶバリエーションの大さは楽しいもの。