ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

政権交代2

2009年09月05日 | 日記(?)
民主党政権になって世の中はどう変わるか。
果たしてマニフェストは実行できるのか。
などなど実にかしましい。

政権交代が実現した今、
政治に対して、何となく気怠い感覚は自分だけだろうか。
選挙前の高揚感みたいなものは既になく、
さあ、民主党政治が始まるぞ、みたいな意気揚々とした気分もない。

そうしてみると、自分もやはり自民党政治に嫌気がさしていただけで、
民主党にそれほど期待感を持っていたのではないのか、
そう思えてきた。

結果として、民主党政権を国民が選んだのだから、
どんどんマニフェストを実行していったらいい。
高速道路無料化だって、財源もへったくれもない、ともかくやっちまえ。
駄目だったら、やり直しゃあいいじゃなか。

一度民主党にやらせてみたら、という民意があるなら、
いろんな政策を、ともかくやってみたら、と私は思う。
マスコミや評論家もしばしお手並み拝見と行かないのかねぇ。
反対政党の議員が何を言っても、所詮は負け犬の遠吠え。
攻守所を変えたにのだから、みなそう思っている。

無茶な論理かも知れないが、
今回の政権交代の最大の意義はここにある。
政権交代した民主党は、政権故に自らのマニフェストに縛られる。
もし実行できなければ、次の鉄槌は民主党に打ち落とされる。

次の選挙で別の選択肢を示すであろう自民党もまた、
自ら掲げたマニフェストを実行しなければ、その次はない。
首班指名は白紙だ、麻生だ、などと言ってる場合ではないのだ。

健全な野党として、国は国民のためにこそあるのだという基本に立ち帰り、
政党としてのビジョンを提示しなければならない。
次の政権交代に向かって、自らの爪を研いでおくいい機会ととらえ、
負けの中に、いかに次に勝つための教訓見つけ出すかが、再生の分かれ道なのだ。

私の中では、政権交代の意義は2つある。
国民が、自分の意志で政権交代を実現できる、と自覚したことが一つ。
政治家や政党が、自らの言葉に責任を持たなくてはならなくなったことがもう一つ。

かって、「その程度の公約は守れなくても大したことじゃない。」
と言った、大馬鹿な政治家がいた。
これからはもうそんなことは、口が裂けても言えないだろう。
それだけでも大いなる進歩じゃないか。
コメント
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