ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

白夜のシベリア鉄道

2009年09月10日 | 旅の空の下
ロシア首相のプーチンが、
シベリアのイルクーツクにあるバイカル湖で、潜水艇に乗った写真が最近ニュースに出た。
プーチンといえば、マッチョを誇示し、強い男というイメージをこよなく大事にする人間だ。
ご存知のように、悪名高きKGB出身で、政治家になってからの発言もまた、非常に強権的だ。
国家というは、自分にとっての国家が、すなわち国家である。

こういったタイプの政治家に、虐げられている庶民の感覚を理解して欲しいと望むべくもなく、
それでも、ロシアという国には、ソビエト連邦時代から、独裁者的な指導者が多い。
プーチンの大統領時代の支持率は高く、
ロシア国民は、結局はこういう指導者を望んでいるのかと思わずにはいられない。

プーチンは、エリツィンの庇護でトップに掛け上がったが、
その前のゴルバチョフ政権の時、私は友人2人とシベリアを旅した。
バイカル湖畔には1泊し、湖で捕れる魚を食べたこともあったので、
先のニュースでつい思い出してしまった。。

いまだソ連時代で、旅行に出る前に、「ソ連崩壊」という本を読んでいたのだが、
そこに出てくる、チェルノブイリ原発事故をご存知の方は多いだろう。
ちなみに、実際にソ連が崩壊したのは、1991年のクリスマスの日とされ、
チェルノブイリ原発事故から約5年後のこととなる。

シベリア鉄道の長い旅の間、時々停車する駅に降りてみるのが唯一の楽しみである。
車掌はみな女性で、社会主義の中、のんびりと仕事をしていた。
社会主義国家というのは、役人(車掌がそうかは知らないが)的な立場の人間が、
何故あんなに高圧的なのだろう。

地方の空港に行って、7,8時間も待合室で過ごしてみると分かるが、
スタッフは本当に仕事をしない。ずーっと駄弁っている。
仕事をしてもしなくても、給料に変わりはないのだろう。
それでいて、乗客に対しては高圧的なのだ。
本当に始末が悪い。

それでも鉄道の旅は楽しかった。
4人部屋の寝台列車は、夜になってもほとんど暗くならない、
いわゆる白夜に近い状態で走り、
外は草原か森林地帯で、時々菜園を備えた小さい家が車窓を通りすぎていく。

時には、廊下の窓から景色を眺めていると、
別のコンパートの乗客が、やはり廊下に出ていて、
5,6才の可愛いらしい女の子が恥ずかしげに、それでも興味津々とこちらを見る。

手招きしても恥ずかしがって近寄らないので、
ハーモニカで日本の歌を吹いていると、部屋から母親も出てきて、
2人でニコニコしながらこちらを見ていた。
同じ車両で数日一緒に過ごすと、言葉は通じなくても、それとなく仲良くなるのだ。

駅や空港の職員の高圧的な接客態度に比べると、
同じ立場の人々は、我々日本人と少しも変わらず、
これが普通の人々なんだということが分かり、
あの高圧的なもの言いをする人もまた、
職場を離れるときっとこの人たちと変わらないんだろう。

ロシア語とフランス語でしか表記のない食堂車のメニューだったため、
4コマ漫画を描いて目玉焼きを注文したりと、
いろんな思い出がシベリア鉄道の数日間の旅に詰まっている。
車内で描いた、1枚の絵を取り出してみた。
廊下の車窓から、一心不乱に外の風景を見ていた少年の横顔。
これもまた、シベリア鉄道の記憶である。
コメント
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