ロシア首相のプーチンが、
シベリアのイルクーツクにあるバイカル湖で、潜水艇に乗った写真が最近ニュースに出た。
プーチンといえば、マッチョを誇示し、強い男というイメージをこよなく大事にする人間だ。
ご存知のように、悪名高きKGB出身で、政治家になってからの発言もまた、非常に強権的だ。
国家というは、自分にとっての国家が、すなわち国家である。
こういったタイプの政治家に、虐げられている庶民の感覚を理解して欲しいと望むべくもなく、
それでも、ロシアという国には、ソビエト連邦時代から、独裁者的な指導者が多い。
プーチンの大統領時代の支持率は高く、
ロシア国民は、結局はこういう指導者を望んでいるのかと思わずにはいられない。
プーチンは、エリツィンの庇護でトップに掛け上がったが、
その前のゴルバチョフ政権の時、私は友人2人とシベリアを旅した。
バイカル湖畔には1泊し、湖で捕れる魚を食べたこともあったので、
先のニュースでつい思い出してしまった。。
いまだソ連時代で、旅行に出る前に、「ソ連崩壊」という本を読んでいたのだが、
そこに出てくる、チェルノブイリ原発事故をご存知の方は多いだろう。
ちなみに、実際にソ連が崩壊したのは、1991年のクリスマスの日とされ、
チェルノブイリ原発事故から約5年後のこととなる。
シベリア鉄道の長い旅の間、時々停車する駅に降りてみるのが唯一の楽しみである。
車掌はみな女性で、社会主義の中、のんびりと仕事をしていた。
社会主義国家というのは、役人(車掌がそうかは知らないが)的な立場の人間が、
何故あんなに高圧的なのだろう。
地方の空港に行って、7,8時間も待合室で過ごしてみると分かるが、
スタッフは本当に仕事をしない。ずーっと駄弁っている。
仕事をしてもしなくても、給料に変わりはないのだろう。
それでいて、乗客に対しては高圧的なのだ。
本当に始末が悪い。
それでも鉄道の旅は楽しかった。
4人部屋の寝台列車は、夜になってもほとんど暗くならない、
いわゆる白夜に近い状態で走り、
外は草原か森林地帯で、時々菜園を備えた小さい家が車窓を通りすぎていく。
時には、廊下の窓から景色を眺めていると、
別のコンパートの乗客が、やはり廊下に出ていて、
5,6才の可愛いらしい女の子が恥ずかしげに、それでも興味津々とこちらを見る。
手招きしても恥ずかしがって近寄らないので、
ハーモニカで日本の歌を吹いていると、部屋から母親も出てきて、
2人でニコニコしながらこちらを見ていた。
同じ車両で数日一緒に過ごすと、言葉は通じなくても、それとなく仲良くなるのだ。
駅や空港の職員の高圧的な接客態度に比べると、
同じ立場の人々は、我々日本人と少しも変わらず、
これが普通の人々なんだということが分かり、
あの高圧的なもの言いをする人もまた、
職場を離れるときっとこの人たちと変わらないんだろう。
ロシア語とフランス語でしか表記のない食堂車のメニューだったため、
4コマ漫画を描いて目玉焼きを注文したりと、
いろんな思い出がシベリア鉄道の数日間の旅に詰まっている。
車内で描いた、1枚の絵を取り出してみた。
廊下の車窓から、一心不乱に外の風景を見ていた少年の横顔。
これもまた、シベリア鉄道の記憶である。
シベリアのイルクーツクにあるバイカル湖で、潜水艇に乗った写真が最近ニュースに出た。
プーチンといえば、マッチョを誇示し、強い男というイメージをこよなく大事にする人間だ。
ご存知のように、悪名高きKGB出身で、政治家になってからの発言もまた、非常に強権的だ。
国家というは、自分にとっての国家が、すなわち国家である。
こういったタイプの政治家に、虐げられている庶民の感覚を理解して欲しいと望むべくもなく、
それでも、ロシアという国には、ソビエト連邦時代から、独裁者的な指導者が多い。
プーチンの大統領時代の支持率は高く、
ロシア国民は、結局はこういう指導者を望んでいるのかと思わずにはいられない。
プーチンは、エリツィンの庇護でトップに掛け上がったが、
その前のゴルバチョフ政権の時、私は友人2人とシベリアを旅した。
バイカル湖畔には1泊し、湖で捕れる魚を食べたこともあったので、
先のニュースでつい思い出してしまった。。
いまだソ連時代で、旅行に出る前に、「ソ連崩壊」という本を読んでいたのだが、
そこに出てくる、チェルノブイリ原発事故をご存知の方は多いだろう。
ちなみに、実際にソ連が崩壊したのは、1991年のクリスマスの日とされ、
チェルノブイリ原発事故から約5年後のこととなる。
シベリア鉄道の長い旅の間、時々停車する駅に降りてみるのが唯一の楽しみである。
車掌はみな女性で、社会主義の中、のんびりと仕事をしていた。
社会主義国家というのは、役人(車掌がそうかは知らないが)的な立場の人間が、
何故あんなに高圧的なのだろう。
地方の空港に行って、7,8時間も待合室で過ごしてみると分かるが、
スタッフは本当に仕事をしない。ずーっと駄弁っている。
仕事をしてもしなくても、給料に変わりはないのだろう。
それでいて、乗客に対しては高圧的なのだ。
本当に始末が悪い。
それでも鉄道の旅は楽しかった。
4人部屋の寝台列車は、夜になってもほとんど暗くならない、
いわゆる白夜に近い状態で走り、
外は草原か森林地帯で、時々菜園を備えた小さい家が車窓を通りすぎていく。
時には、廊下の窓から景色を眺めていると、
別のコンパートの乗客が、やはり廊下に出ていて、
5,6才の可愛いらしい女の子が恥ずかしげに、それでも興味津々とこちらを見る。
手招きしても恥ずかしがって近寄らないので、
ハーモニカで日本の歌を吹いていると、部屋から母親も出てきて、
2人でニコニコしながらこちらを見ていた。
同じ車両で数日一緒に過ごすと、言葉は通じなくても、それとなく仲良くなるのだ。
駅や空港の職員の高圧的な接客態度に比べると、
同じ立場の人々は、我々日本人と少しも変わらず、
これが普通の人々なんだということが分かり、
あの高圧的なもの言いをする人もまた、
職場を離れるときっとこの人たちと変わらないんだろう。
ロシア語とフランス語でしか表記のない食堂車のメニューだったため、
4コマ漫画を描いて目玉焼きを注文したりと、
いろんな思い出がシベリア鉄道の数日間の旅に詰まっている。
車内で描いた、1枚の絵を取り出してみた。
廊下の車窓から、一心不乱に外の風景を見ていた少年の横顔。
これもまた、シベリア鉄道の記憶である。