今日は、波野の神楽苑に行ってきた。
13:00から中江地区の神楽があり、久しぶりに神楽を見た。
中江の神楽を初めて見たのは、平成2年の1月。
熊本県立劇場で、一昼夜を費やして演じられた三十三座。
見る者を圧倒する舞台だった。
波野という、何ら産業もない高冷地野菜の産地の地。
農業従事者がほとんどの、冴えないおじさんたちが演じた神楽は、
生半可な演劇や歌の舞台など比較にならないスケールで見る者に迫ったものだった。
その公演で、波野在住の知人がいた関係で、
舞台袖からしばらく見ることができた。
舞台袖では次の出番を待つ波野の人が、談笑したり着替えたり、
茶を飲んだり、つまみをかじったり、
一段落した畑で茶を飲んでいるような和やかな雰囲気である。
しかし、出番が迫り面を着けた途端にその雰囲気は一変する。
ピーンと背筋が張り、何処にでもいるおじさんは既になく、
自分が演じる役に成りきって、笛と太鼓に誘われるように舞台へと出ていく。
その変わり身は今でも強烈に印象に残っている。
今日もその一端を垣間見ることができて、当時の記憶が蘇った。
ただ、あの当時の人は演者にはほとんどいなく、
それでも、中江の神楽が連綿と引き継がれていることは実に素晴らしいことなのだ。
その思いを抱いて帰途に着いた。
13:00から中江地区の神楽があり、久しぶりに神楽を見た。
中江の神楽を初めて見たのは、平成2年の1月。
熊本県立劇場で、一昼夜を費やして演じられた三十三座。
見る者を圧倒する舞台だった。
波野という、何ら産業もない高冷地野菜の産地の地。
農業従事者がほとんどの、冴えないおじさんたちが演じた神楽は、
生半可な演劇や歌の舞台など比較にならないスケールで見る者に迫ったものだった。
その公演で、波野在住の知人がいた関係で、
舞台袖からしばらく見ることができた。
舞台袖では次の出番を待つ波野の人が、談笑したり着替えたり、
茶を飲んだり、つまみをかじったり、
一段落した畑で茶を飲んでいるような和やかな雰囲気である。
しかし、出番が迫り面を着けた途端にその雰囲気は一変する。
ピーンと背筋が張り、何処にでもいるおじさんは既になく、
自分が演じる役に成りきって、笛と太鼓に誘われるように舞台へと出ていく。
その変わり身は今でも強烈に印象に残っている。
今日もその一端を垣間見ることができて、当時の記憶が蘇った。
ただ、あの当時の人は演者にはほとんどいなく、
それでも、中江の神楽が連綿と引き継がれていることは実に素晴らしいことなのだ。
その思いを抱いて帰途に着いた。
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