ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

熊本震災 阿蘇の我が家と私の状況 その3

2016年04月27日 | 日記(?)
4月27日夜

昨夜から穏やかな時間が続いて、地震情報も震度1~2で、ほとんどが震度1で、
ほっと一息ついていた昼食の時間、グラグラっと揺れました。
多分、震度3くらいかなという感じでしたが、速報ではその通り、阿蘇市は震度3でした。
しばしの静寂が破られた後は、立て続けに30分くらいの間に2回小さな揺れが来ました。
後で地震情報をネットで見ると、今日は30回以上の揺れが来ているようで、
震度3はそのときだけでしたが、まだまだ油断はさせてくれないのです。

昨日、福岡に住む娘からファイスブックからの情報で、
阿蘇市狩尾の苺農家で、苺つみのボランティアを募集しているという連絡がありました。
早速その農家に連絡を入れると、同居している下の娘の知人で、
赤く熟れている苺を取って欲しいという話です。

孫を連れて行ってみると、真っ赤に熟れた苺が山となって廃棄されています。
ハウスに入ると、熟れた苺に小さな白い虫が飛び交って群れています。
この虫がいけないのでしょう。
出荷する苺は、熟れる前の苺で、熟れた苺を摘んでしまわなければならないそうです。

その農家は家にも被害を受け、被災者としての生活を強いられていました。
その中で、ハウスの苺は無情にも熟れていき、選果場も稼働せず、ただ廃棄するしかないということでした。
それなら、SNSで呼びかけて摘んだ苺は持って帰ってもらうのと引き替えに、
出荷できない熟れた苺を少しでも摘んでもらうというのが、そのボランティアの内容でした。

私の家族が1時間ほど摘んだところでたいした助けにはなりませんでしたが、
ほんの少しでも力になればとの思いでした。
いただいた苺は近所に配ったり、ジャムにしたりと大切に使わせてもらいました。

それにつけても、丹精込めて作った苺を、真っ赤に熟れた大粒の苺を、
廃棄するためだけに摘む作業は、その虚しさにおいて、農家にとって何と過酷な作業ではありませんか。

そのハウスに行く途中の道端に崩壊した家屋が一軒ありました。
2階建ての家が、向かって右方向に潰れて、惨憺たる状況でした。
その様を見たとき、鳥肌が立つような恐怖を感じたのです。
顔を見かければ言葉を交わすくらいの方の家だっただけに、その恐ろしさはいかばかりだったかと、
ただただ、命に別状はなかったことを祈るばかりでした。

震災のいろんな様子を見て、写真に撮ってこのブログにアップすることも可能ですが、
今はまだ、写真を撮るという気になれません。
もちろん、その写真をこのブログに掲載することも、とても出来そうにない状態です。

上水道は通水しましたが、水量は安定せず、それでも生活には必要十分です。
ただ、下水道の不具合があって、極力排水を控えています。
なかなか奪われた日常が、すぐに戻ることはないし、
心の平安が戻ることもまた、なかなかありません。

明後日中には送電線の修復が終わって、通電するという知らせがありました。
それまでは、中部電力や関西電力、中国電力等の高圧発電車のお世話になります。
本当にありがとうございます。皆さんのおかげで、ずいぶんと人間らしい生活が出来ました。
阿蘇に住む全ての住民が、皆さんに心から感謝しています。

今日、ふと気がつくと、花壇のスズランが可憐な花を咲かせています。
避難所に避難している、主の居ない隣の家のツツジが、きれいに咲いています。
ビオラの色とりどりの花も、今を盛りと美しさを競っています。

この異常な毎日の中で、人間はただその日を過ごすのに懸命だけれど、
花は季節の風を肌に受け、残酷なまでに美しく咲いています。

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