先日、柳家さん喬の落語を聞く機会があった。
さん喬は、今は亡き柳家小さんの弟子である。
さすがの名人芸で、すっかり引き込まれてしまった。
演目の一つが古典落語で有名な「井戸の茶碗」。
井戸の茶碗というのは、高麗茶碗の中でも珍重されたらしいが、
この落語に出会うまで、全く知らなかった。
この茶碗の姿形を見ると、概ね素朴で、茫洋とした感じだ。
江戸の茶人に愛用されたらしいが、
侘び寂びを愛した彼らに珍重されたのも、むべなるかなと思われる。
「井戸の茶碗」の演目は、古典落語だけに多くの名人が演じていて、
話の大筋は決まっているので、
その合間の語りにそれぞれの落語家の特徴が出ている。
さん喬の「井戸の茶碗」は、笑いに対してのわざとらしさが無く、
人情話の風情も豊かで、
何よりも、情景が目の前に浮かんでくるという名人芸だった。
すっかり堪能して会場を後にした。
数日後、友人がCDを持ってきてくれて、
中に入っていたのが、立川笑志の「井戸の茶碗」だった。
まだ真打ちになる前の録音で、
11年間二つ目を努めたというだけあって、
立川流のレベルの高さを感じさせるものだった。
それにしても、落語は演じる噺家を目の前にしているときが一番おもしろい。
4月から暇になるので、しばし落語にはまってみようか。
さん喬は、今は亡き柳家小さんの弟子である。
さすがの名人芸で、すっかり引き込まれてしまった。
演目の一つが古典落語で有名な「井戸の茶碗」。
井戸の茶碗というのは、高麗茶碗の中でも珍重されたらしいが、
この落語に出会うまで、全く知らなかった。
この茶碗の姿形を見ると、概ね素朴で、茫洋とした感じだ。
江戸の茶人に愛用されたらしいが、
侘び寂びを愛した彼らに珍重されたのも、むべなるかなと思われる。
「井戸の茶碗」の演目は、古典落語だけに多くの名人が演じていて、
話の大筋は決まっているので、
その合間の語りにそれぞれの落語家の特徴が出ている。
さん喬の「井戸の茶碗」は、笑いに対してのわざとらしさが無く、
人情話の風情も豊かで、
何よりも、情景が目の前に浮かんでくるという名人芸だった。
すっかり堪能して会場を後にした。
数日後、友人がCDを持ってきてくれて、
中に入っていたのが、立川笑志の「井戸の茶碗」だった。
まだ真打ちになる前の録音で、
11年間二つ目を努めたというだけあって、
立川流のレベルの高さを感じさせるものだった。
それにしても、落語は演じる噺家を目の前にしているときが一番おもしろい。
4月から暇になるので、しばし落語にはまってみようか。
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