ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅳ

2011年03月26日 | タイ2011
今朝(3月26日)の新聞で見たのだが、ミャンマーのタチレク付近で地震があった。
マグニチュードは6.8。かなり大きな地震だったようで、バンコクでも揺れを感じたとか。
報道では現在75名の死者が出ているという。タイのメーサイでも死者1名があったようだ。
タイでは地震がないという思い込みがあって、驚いている。
被災者の方に心からお見舞い申し上げます。

チェンライ4日目は、そのタチレクと国境を接する町、メーサイに行った。
メーサイからタチレクへの国境越えは簡単で、ビザはいらない。
ただし、タチレクから先には実質的には行けないシステムで、
要するにただ国境を越えてミャンマーに行ったというだけのことだ。
これを利用して、タイでのビザなし滞在を更新する方法を取る滞在者もいる。

バスターミナルに行こうとすると、
宿の前で奥にあるバーンブアGHの客らしいSさんという日本人と会う。
話を聞くと、宿を変わりたいというので、自分の部屋を見せてここはどうかと言うが、
冷蔵庫がないのでいまいちらしい。
近くのJAMSON・GHを一緒に見に行くと、エアコン、冷蔵庫、朝食までついて400B。
自分もここに変わろうかと思ったが、今日を除けば、後1泊なのでまいいかと諦める。
その後、Sさんとは午後7時に会って、一緒に食事に行くことにして別れた。

メーサイは8年前に来ているので、どうしようか迷ったが、
チェンコーンは片道2時間30分のバス旅になるので、若干びびったところがある。
メーサイまでは往復でも3時間あまり。

バスターミナルから国境まではいささか遠いので、皆ソンテオ15Bで移動する。

今回は国境は越えずに、メーサイの町歩きをする。
こんな所にという所に日本料理屋があったり、

ちょっとしんどかったが、チェンマイのドイステープのような階段を上ったところに寺があり、

そこからはメーサイが見下ろせる。

この8年の間にメーサイはかなり発展したようで、かなり様変わりしていた。
中国の影響か、天津甘栗屋が多くあり、
「バイアグラ要らないか」というお誘いが2,3度あったり、
最北端の地というモニュメントもピカピカにリニューアルされていた。

昼食は地元民が多く食べていた食堂に入る。

ここで店先で作っている麺を頼むと、30B。
その後国境と反対側に100mほど歩いたところにある甘味屋兼カフェに入る。
エアコンの入った店内でまたまったりとカフェオレ。

2時前にソンテオでバスターミナルへ、15B。
バスは既に発車状態にあったが、乗客が満員でないのでグズグズする。
発車してもグズグズと動きながら乗客を拾おうとする。
いつものことなので、焦ってもしようがない。

4時頃、部屋に帰り、シャワーを浴びてまたマッサージ屋へ。
同じ店だが、きょうの揉み手は小太りのやはり年配の婦人。
揉み手によって少しずつほぐし方が異なっていて、今日の方がよかった。
宿に帰るとすぐ7時になったので、既に宿を変わったSさんを迎えにGHに行く。

ナイトバザールを歩く後ろ姿のSさん(左)。後ろ手にあるのはARUKIKATAの本。
今夜もナイトバザールに行く。
Sさんもリタイヤ組で、1人でタイを旅しているそうだ。
チェンライが最後で、後はバンコクに飛んで1泊して帰国するという。
そんな話をしながら、ビールとつまみ、またまた寿司などをつまんで9時過ぎたので帰る。
Sさんとは翌晩も7時頃会うことにして別れる。

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