ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

旅行人

2008年09月05日 | 世界一周記2008
ビエンチャンではよく日本人旅行者に会う。
昨日朝、タラートサオ(市場)でも見てみようと、ブラブラ歩いていたら、
アメリカ大使館の前で向こうから歩いてくる青年がいたので、
声をかけたら、やはり日本人だった。
初めてのラオスということで、色々聞かれたのでしばらく話し、
私の宿の名前を告げて、よかったら食事でも一緒にということで別れた。
彼とは、昼偶然に道端で出会い、ARUKIKATAに載っているらしい麺屋に私を連れて行ってくれた。
あのガイドブックの情報は時々当てにならないこともあるが、
その店は、現地の人で満杯で、入れ替わり立ち代りの状況。
こりゃ、美味いに決まってるな、ということで、
1杯13000キップ(約150円)をいただく。
確かに美味い。お勧めである。
ただ店の名前は分からないが、ARUKIKATAに載っているはずだ。

今朝は、ちょっとキップが足りなさそうなので、EXCHANGEに行ったところ、
その前で、日本人の青年と、女性が話している。
声をかけると、昨日バンコクからバスで来て、今ビエンチャンに着いたという。
青年は、今からGHを探してチェックインすると言い、
女性のほうは、電話するところを知らないかという。
街中で電話することはほぼ不可能に近い。
私の宿に連れて行き、そこのフロントで電話してくれるよう頼んだら、OKだった。
もちろん料金は払う。5000キップである。携帯相手だとこちらでも料金は高い。
電話相手は、こちらのJAICA事務所に勤めている友人だそうで、
今いるホテルに迎えの車を送るから待っていろ、ということで話が通じたみたいだった。
私は、そこまで確かめて、再び朝食をとりに外出した。
ところが、1時間半ほどたってホテルに帰ってみると、まだ彼女がいる。
事情を聞くと、迎えの車が来ないし、電話もその後通じないので困っているらしい。
行きがかり上、ほうっておくわけにもいかず、
これから行くカンボジアの情報などを話していたら、相手からホテルに電話が入り、
どうやら運転手が場所を間違えたらしく、5分ほどで迎えの車が来た。
で、ホテルの前で「さよなら」。

出会いはいろんなところにある。
それもほとんど私から声をかけているからで、
黙っていれば、何事もなくすれ違うだけの関係だ。
しかし、出会って話した旅行人のほとんどは名前を知らない。
お互い、そこだけの出会いと思っているせいか、名乗らずに別れる場合がほとんどだ。
欧米人の場合は、大体最初に名前を紹介しあうのだが、
日本人の特徴だろうか。

今いるGHのロビーで、フランス人に声をかけられた。
自分の息子が今奈良にいるとのこと。
日本人を見て、つい話しかけたくなったのだろう。
京都は奈良から近いだろうとか、他愛もないことを話して別れた。
彼も旅行人。
フランス人にとっては、ラオスはいいところだろう。
パンはおいしいし、ちょっとしたレストランにはフランス語のメニューもある。
日本語のメニューはないのかね。

これから先、西に向かうにつれ、日本人の旅行人と出会うことは稀になっていくだろう。
寂しいことだが仕方ない。
そうなればもう少し英語に磨きがかかるかもしれない。
この年ではほとんど期待できないが・・・。
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変わっちまったビエンチャン

2008年09月04日 | 世界一周記2008
3日にビエンチャンに着いた。
2日にプノンペンからバンコクに飛行機で帰り、
そのまま夜行寝台列車で国境の町、ノンカーイに着いた。
ノンカーイからダイレクトバスで、ビエンチャン入りをするのだが、
そのトクトクでシェアした女性と話していたら、なんと熊本に1年ほどいたということになって、
そこからはすっかり日本語の会話になった。
彼女は、ノンカーイに1~2泊してビエンチャンに向かうという。
私はバスターミナルで降りて、彼女と再会できればいいねといって別れた。
なんと、世界も狭いもんである。

ビエンチャンのバスターミナルで降りて、懐かしい道のりでナンプ(噴水)に向かう。
なんという様変わりだろう。
すっかり洗練された町並みになっている。
道路はきれいになり、歩道だってある。
道を間違えそうになってしまった位の変貌だった。

夕方、チェックインしたGHからすぐの、ナンプカフェに行った。
今回は、そこの美人お上と、あの当時まだ小さかった姉妹に会うのが目的のひとつだった。
だが、なんとなく違う。
店はほとんどあの当時のままだが、店員はもちろん変わっているが、
オーナーらしき夫婦がまったく違うのだ。
やはり代替わりをして、違うオーナーになたのだろうと想像するにとどまったが、
9年という時代の流れを感じる一こまだった。

当時近くにあったPVOという、有名なフランスパンのサンドイッチ(カオティパテ)屋は、
メコン川沿いに移転しており、
そこにも行ってみたが、お上さんはすでに店にはいなかった。
やはりここも代替わりしているようだ。
昔PVOがあったところは、同じような店が出ていて、サンドイッチがメインの店のようだ。

メコン川沿いには、以前小さな屋台がたくさん出ていたのだが、
それもほとんど姿を消し、しゃれた風な店になっている。
これが発展なのかと、しみじみと時代の流れをかみしめている。
ノスタルジーはあくまでもノスタルジーに過ぎない。
ベトナムのホイアンを10年ぶりに訪ねたとき、
あまりの変貌に驚き、失望したが、それはあくまでも個人のものなのだ。
私のノスタルジーのために、彼の国の人が昔の姿を保つ謂れはないのだ。

ラオスもまた、さらに変貌を遂げ、
「これで首都?」と、われわれを呆れさせた当事の面影は、やがて影も形もなくなるだろう。
それは分かっているのだが、
あの当時の人に、誰一人出会えないことには、やはり寂しさは隠せない。
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カンボジア考 -2-

2008年09月02日 | 世界一周記2008
ブログの更新が頻繁にできております。
その第一の理由が、暇だということ。
第二の理由は、カンボジアのネット環境が意外にいいこと。
スピードは遅いです。特に夕方など、イライラしますが、
ともかく繋がっていて、かつ日本語が使用できるということ。

さて、カンボジアのゲストハウス(GH)についてご紹介を。
プノンペンでは、ナイスGHに通算4泊しました。
1泊10$で、コストパフォーマンスはかなりいいです。
シェムリではタケオGHで、やはり1泊10$(朝食、無料洗濯つき)で4泊。
ある程度年配の日本人の感覚から言うと、ナイスGHに軍杯が上がります。
その最大の理由は、清潔であることでしょう。
それに毎日ベッドメーキングをしてくれます。
たとえ、朝食がついてなくても、私はそちらをとるタイプです。

カンボジアでは危険性をよく言われますが、
人々は基本的にはそれほど悪くありません、というより、結構穏やかな気質です。
ただ、発展途上国にありがちですが、かなりの貧困層があったり、
ともかく金を稼がなくてはという、金銭至上主義な部分はあります。
そこから犯罪が発生することは十分考えられることですから、
夜遅く、暗い路地を歩くなどの行為は、女性はもとより男でも当然慎むべきです。
そうすれば、楽しく過ごすことはできます。

キャピトルツアーというのがプノンペンにあります。
ベトナムで言う、シンカフェツアーのようなもので、
ここはバスも何台も所有していて、各地と結んでいます。
たとえば、プノンペンーシェムリアップ間は、1日5往復出ています。
このツアー会社は、キャピトルGHの1階にあって、
シティーツアーや、キリングフィールドのツアーも手がけています。
当然、バックパッカーが各地から来て、
併用されているレストランには常に各国からの旅行者がいます。

昨日、そのレストランで一人のんびりとビールを飲んでいたところ、
男1人女2人の一見日本人風の旅行者の1人(女性)が声をかけてきました。
その第一声が「Can you speak English ?」で、
最初は、こいつ日本人のくせに俺をからかっているなと、思ったのですが、
よく聞くとシンガポールから来たそうで、今日泊まるところを探している、とのこと。
で、私が泊まっているところの話を聞きたい様子で、仕方なく、宿に連れて行って聞いてみたが、
あいにく満室だということで、とても困った風でありました。
じゃあ、近くにキャピトル3GHがあるので、ということで連れて行き、
後は自分たちで判断してくれと言って分かれました。
かように、さまざまな国の旅行者の集まるところがキャピトルツアー(兼レストラン)です。
個人旅行者は、とりあえず最初にここを目指せば、間違いありません。

さて、このキャピトルバス、シェムリから帰るとき、GHでのピックアップの時間が遅れて、
そのワゴン車がバスターミナルに着いたのは、定刻15分過ぎ。
しかし、なんとそのワゴン車で行った我々4人をバスは待っていたのです。
もちろんチケットは前日に買っているので、その4人が来ていないことはバス側にも分かっていて、
また途中でワゴン車の運ちゃんが頻繁に電話連絡もしていて、
それで待ってくれたのでしょうが、これはなかなか侮れないゾ、と思ったものです。
心配性の私は、すでにバスは出ているのではないかと疑ったのですが、
いやいや、すでに乗り込んで待っていた人たちには申し訳ないが、
本当によかったのです。

さて、今度はどこの旅の空からご報告できるのか。
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カンボジア考

2008年09月01日 | 世界一周記2008
考察するというほどでもないが、約1週間の滞在で思ったこと。

その1 交通道徳
始めてこの地を踏んだ日本人は、そんなもんあるか!と声を大にして言うだろう。
一見(いや、一見でなくても)無茶苦茶である。
隙あらば割り込む。遅い車とて決して譲らない、等等。
だがよく見ればそれなりのルールは、暗黙にあるのだ。
車、バイク、自転車、人の順に優先である。
車やバイクの警笛は、危ないから鳴らすばかりではなく、
オラが走ってんだゾという少々乱暴なお知らせなのだ。
我々から見て、無秩序なこの道路を横断するのは、一見不可能である。
だが、方法がないことはない。
バイクや車が来ていないことにして渡るのだ。
そうすれば向こうのほうで避けてくれる。
と信じて渡るのだ。

2 著作権道徳
えー、これに関しては、東南アジア各国同様、ない!と断言してもよろしいようで。
昨日、シェムリアップからプノンペンへのバスの中、
ランボーシリーズの最新作が、カンボジア語の緊張感のない吹き替えで、
ビデオCDで車中放映されておりました。
言葉は全く分からないものの、そこはスタローン氏の映画。
ほぼ完璧に筋書きは理解いたしました。

3 デンタルクリニック
昨日、屋台の焼き鳥屋で買った袋に小さな胡瓜が入っておりまして、
これが非常にうまい。お変わりしたいほどうまい。
で、2本目を不用意にかじったとたん、
とんでもないことに、イヤーな音がして、前歯の差し歯が取れたのであります。
これは拙い。なんといっても旅はこれからという矢先、
歯抜けの爺さんでは非常に困る。
仕方なく、今朝ゲストハウスがデンティストを紹介してくれまして、
非常に可愛い(鼻から下はマスクだったので、目だけのことですが)歯科衛生士さんでしょうか、
それまで以上にちゃんとガチガチに固定していただいて、
これで不安なく旅を続けられるというものです。
この医院では、うがいをするとき台を起こしてくれず、
自分の腹筋で起きてうがいをするのです。
年寄りや妊婦はどうするんだろうと、つい要らぬ心配したわけで、
これも無事治療した余裕でありましょうか。

以上で、さし当たってのカンボジア考。
にはなっておりませんね。
明日はバンコクに向けて飛びます。
その後はラオスが、10年ぶりの私の訪問を待っています。
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