Design Manhole Cover

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長岡日記ー6-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月22日 | ボランティア日記
画像は関越道から撮った、雪中の小千谷仮設です。

今日で6日間のボランティアを終えて明日帰宅致します。
後方支援のつもりで来たのですが、いくつもの災害最前線を見せていただきましたし、お手伝いもさせて頂きました。
今も心に残るのは、お孫さんを亡くされたおじいさんを照会された時でした。
ご挨拶の言葉が出て来ません、なんと言ったら良いのか言葉が見付からないんです。只、頭を下げるしか出来ない私でした。(ホントに情け無い奴です)

これから被災地は雪に覆われて約3ヶ月の間、ボランティアは山に入ることが出来ません。
私達に出来る事は、復興のお手伝いと経済的な協力でしょう。
復興のお手伝いは春3月を待たなければなりませんが、経済的な協力でしたらこの冬の間にも出来ると思います。
それは新潟県へスキーや温泉、宿泊旅行等の観光に行って頂きたいと云うことなのです。
他県を予定していた方は是非、新潟県へ行って新潟県にお金を落として下さい。
その経済活動が地元の復興に役立つのです。
被災者の側では気が引けて楽しく遊べないとか、なんか悪いような気がすると言う
方の声も聞きますが、被災者の方達は「是非、新潟に来て下さい、それが私達には一番嬉しい事です。」と仰っていました。

自分に出来る事を無理せず遣りたいと思います。

おわり

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長岡日記ー6-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月22日 | ボランティア日記
画像は自分で雪囲いを作っているところ、すきま風は防水テープを貼り付けて防いでいるそうです。

歯が痛んだので目覚めたら夜中の3時過ぎ、突然ガタガタガタガタ、縦揺れ地震が・・・。それ程大きな地震ではなかったので一安心して、歯の痛み止めを飲んで一眠り・・・、寝坊してしまった。
窓から外を見ると雪でした。
雪の中を、これが地元神奈川だったら大雪だな等と考えながら魚沼ボラセン(ボランティアセンター)へ、ボランティアが必要との事だったので、中越センターから2名で出動だったが。
魚沼へ着いたたら「今日は雪なので作業中止!」
ではと、田麦山を目指し雪道を今日始めて運転するパジェロで飛ばす。
流石にオフロードカー・パジェロ、これくらいの雪では4WDにしなくても全然ヘーキだな。
田麦山に着いて見ると物資部の車がいる、昨日頼まれた物資をこれから資材ベースに取りに行くとのことなので、我がチームも合流して助っ人。
資材ベースに着いて見ると約15cmの積雪、思わず学生ボランティアが雪合戦などおっぱじめやがって、可愛いったらありゃしない。
ここは川口を見下ろす小高い山の上にある。僅かな高低差でも随分積雪が違うもんだな。
物資を田麦山に運び、仮設(仮設住宅)の情況を見てから川口ボラセンへ。

新潟は雪国です、仮設にも雪囲い(ゆきがこい)が必要なんです。
雪囲いって言うのは出入り口の外側に囲いを作って、出入り口の戸を開けたときに外の雪が家の中まで直接吹き込まないようにするための、いわば二重ドアの外側とか防風スクリーンと思って貰えれば良いと思います。
けれど与えられた仮設には雪囲いは無く、取り付けは各個人の自費で行わなければなりません。男手の有る家はまだ良いのですが、婦女子、老人宅ではこの「雪囲い」の取り付けもままなりません。これにも今直ぐボランティアが必要なんです。

各ボラセンでのお話を聞く機会が有ったけれども、それぞれが様々な想いや思惑で動いているなあ、と云うのが素直な感想かな。
それぞれでのお話には皆、頷けるし成る程と感心したりもするんだけど、別組織のボランティアグループに向ける視線は随分と冷ややかだな。
まあ、自分のとこのボラセンが一番頑張って居るんだって云う自負が有るのかもしれないけど、もう少し広い気持ちを持っても良いんじゃないでしょうかね。

お風呂は毎日長岡市内のスーパー銭湯に通ってました。今日は露天風呂に浸かって頭に雪が降り掛かるって云う実に風流なお風呂でした。