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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 15

2006年05月26日 | 読書
馬商人は、東国奥州から、時の権力者の本拠地を目指して集まってくる。
今の権力者は、織田信長である。

馬市は、城外の野で立っている。
五百頭以上の馬が集まり、戦場のような騒ぎである。

午後になった。
伊右衛門は、さすがに見くたびれて、腰を下ろし、握り飯を取り出した。

そのとき、遅着きの馬商人が、たった一頭の馬をひいて入ってきた。
伊右衛門は、思わず握り飯を取り落とし立ち上がった。

なんと、みごとな。
この一頭の出現で、馬市の場内は静まりかえった。

織田家の侍達は、この馬商人に試されていた。
この馬にいくらの値を付けるか。

伊右衛門もこの名馬を欲しいが、買えるはずがなかった。
だが、伊右衛門は進み出て、
「わしが、値をつけよう」
言ってはみたが、買う金はない。
伊右衛門の粗末な麻服をみたばくろうは、
「あなた様は、この馬をわかっていなさる眼でござりまするな。値は言いなさるな。まあ、後で」

おやじは、馬をひいて歩き出した。
伊右衛門は、魅入られた様な格好で、馬の後ろをついて行った。

「お侍さま、ご執心でござりまするな」
「欲しいのだが、金がない」
「恐れながら、あなた様は何石のご身上であられまするな」
身なりからして、どうせ、五、六十石の小身者であろうとおやじは気の毒そうに言った。ところが、
「二千石」
と、言ったから、おやじは仰天した。
「そ、それはご大身な。お見それ申し上げました。しかし失礼ながら、そのお身なりではとてもとても、百石取りとさえ見えませぬ」
「家来が多いのだ」
「あっ、左様か。左様でありましょう。身上以上に数多くのご人数を扶持なされておる。お侍はそれでなくてはなりませぬ。戦場の功名は人じゃ。ああ、あなたさまは織田様のご家運が続く限りご出世なさるでありましょう」
「だからわしには金がない」
「それはお気の毒じゃ。では、買う買わぬはさておき、あなた様の目分量で、この馬の値を申していただきましょう」
「買う買わぬは別か。黄金十枚」
「おお、よくぞ申されました。わしもそれくらいであろうと思っておりました」

伊右衛門はおやじの宿泊先を確認すると、直ぐに、千代が居る長浜へ向かった。

長浜に着いたのは、夜である。
「今じぶん、どうなされました」
千代は、伊右衛門の青い顔色を見て取って、何事か大事があったと悟った。

「千代、今日は、馬を見た」
「馬を?」
「うん。竜のような馬だ」
「それは、いくらでございます」
「お前が打ち出の小槌を持っている訳でもないのに、聞かせてどうなることでもない」
「ホホホ・・・・・、持っているかもしれませぬ」
「千代、驚くな、黄金十枚。あははは、肝がつぶれたか」
「はい、少し」
「驚かせてすまなかった。なんの、夢のような話さ、笑えば済む」
「買いましょう」

千代は思った。
織田家五万の家中が遂に買えなかったほどの馬なら、今日あたり城中城下で非常な評判が立っているであろう。
それを、伊右衛門が買った、となれば、織田家五万の侍の中できわだった話題に乗る。信長の耳にも入るであろう。侍の働きは戦場だけではあるまい。

千代は、自分の部屋に入り、輿入れのときに、伯父の不破市之丞が持たせてくれた鏡を取り出した。

この鏡の箱の中に、黄金十枚が収められている。
婿殿の大事の時に使え。
伯父は、そう言った。
千代は、それを取り出し、ふくさに包んで立ち上がった。

「どうした、これは、黄金ではないか。しかも、十枚」

千代は、伯父不破市之丞の好意と、彼が黄金につけた条件の話をした。が、伊右衛門の大きく開いた眼はますます瞬きが少なくなり、遂に怒鳴った。
「な、なんと、可愛気のないやつだ。われら二人は年中貧乏に堪えてきたのに、お前だけはこっそり黄金を秘めかくし、わしにも知らせなんだ。理由は成る程解った。しかし、なんと情の強いおなごよ。千代、お前はそういう女だったのか」
はじめて自分の女房を、他人の眼でまじまじと見た。
「賢すぎる女だ、お前は、心が何室にも分かれていて、玄関からは見通せぬ」

ぽろりと千代は涙をこぼした。伊右衛門が突いたような女であることを、自分が一番良く知っている。伊右衛門の興ざめたような気持ちが、千代自身にもわかるのである。自分が男なら、そういうさかしらぶった複雑な構造の女房など、持ちたくない。
つい伊右衛門に与えてしまったこの印象を、どう掻き消してしまうべきか。
泣くにかぎるわ、理屈を言わないで。
そう心に決すると、便利なもので、千代はだんだん悲しくなり涙が止めどなく流れてきた。

慌てたのは、伊右衛門の方である。
「千代、誤解だった。言い過ぎた。いや、あまりの意外さに、感情がとまどってしまって、喜ぶべきところを、取り違えて腹を立ててしまった。こまるでないか、泣いては」
「でも、泣かせるのはどなたでございます」

つづく

どこまでも、自分の賢さを隠し、伊右衛門を立てる千代。
ここで馬を買ったらどうなるだろうか、と、戦略を立て、お金を使うときはここだと決断し、伊右衛門に行動を促す。まさに、コーチングです。
自分の賢さをよく知っているからこそ、出来ることでしょう。


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