画像は崖崩れで進めない山古志村への道
朝3時に自宅を出発、雪の峠を越えて新潟に入る。
小千谷に近付くにつれ路面のうねりが非道くなり、道路補修箇所が増えてきた。
朝8時過ぎに長岡市の新潟中越地震ボランティアセンター本部、中越センターに到着。
長岡市内を見る限りでは大きな被害は見受けられない。
センター長のお話を聞き、総務に配属が決まって、朝のミーティングで照会され、そのまま各地のボラセン(ボランティアセンター)回りに。
川口、田麦山、魚沼、十日町、栃尾の各ボラセンを廻った。
川口から魚沼方面へ向かう国道17号線の和南津(わなづ)トンネルは修理工事中で片側交互通行の為、2km程の渋滞が当たり前の様だ。
コシヒカリで有名になった魚沼って山の中に有ったんですね、川からパイプで水を引き谷間の田圃で育てたお米が、あの美味しい魚沼産コシヒカリだったんです
が、今回の地震でその水を引くパイプがズタズタに引きちぎられてしまい壊滅的との事で、来年の魚沼産コシヒカリは果たしてどうなるんでしょうか。
道路は簡易舗装で応急処置をしたつぎはぎ道路ばかり、補修して無くても路面は複雑にうねっていて運転には気が抜けない。
道路の端で測量器を覗き作業しているのは、地震後の影響調査なのか工事用の測量なのか。
橋の部分だけは頑丈に出来ているのか、そこだけが平らで橋の前後が陥没している為に橋を通過するたびに車が軽くジャンプをしていた。
こんなに道路が非道い状況なのに橋が大丈夫ってことは、多分、昭和39年(1964年)6月16日の「新潟地震」で昭和大橋の橋桁がパタパタと落下してしまった、あの時の教訓が生きているんでしょう。
栃尾から川口方面への帰りで、私の車のカーナビが示した道は山古志村経由だった。
通行止めの道を避けて進んだのが、その道も道路が崩れていてそこより先へは入れなかった。
初めて目にする災害現場やボランティアセンターの様子に只々、感心したり驚いたり。
どこがなんだか、何がなにやらさっぱり分からん。第一、地名が分からんし位置の確認が出来ない、地図を覚えないことには遣って行けないな。
書類の作り方や、仕事の流れも細切れに聞くのでメモをとっても繋がりがさっぱり分からん、兎に角早く慣れることだな、慣れない事には仕事にならんからな。
こんな事で数十年前の新入社員当時の戸惑いを思い出してしまった。
新人に対する指導は果たして適切に出来ていただろうかと、そんな想いがフッと頭の中を過(よ)ぎった。
宿泊場所は中越センター(何かの倉庫だった建物)の2階に木製の一人用スペース(1畳強)の中に毛布を敷き寝袋を入れて寝る。
朝3時に自宅を出発、雪の峠を越えて新潟に入る。
小千谷に近付くにつれ路面のうねりが非道くなり、道路補修箇所が増えてきた。
朝8時過ぎに長岡市の新潟中越地震ボランティアセンター本部、中越センターに到着。
長岡市内を見る限りでは大きな被害は見受けられない。
センター長のお話を聞き、総務に配属が決まって、朝のミーティングで照会され、そのまま各地のボラセン(ボランティアセンター)回りに。
川口、田麦山、魚沼、十日町、栃尾の各ボラセンを廻った。
川口から魚沼方面へ向かう国道17号線の和南津(わなづ)トンネルは修理工事中で片側交互通行の為、2km程の渋滞が当たり前の様だ。
コシヒカリで有名になった魚沼って山の中に有ったんですね、川からパイプで水を引き谷間の田圃で育てたお米が、あの美味しい魚沼産コシヒカリだったんです
が、今回の地震でその水を引くパイプがズタズタに引きちぎられてしまい壊滅的との事で、来年の魚沼産コシヒカリは果たしてどうなるんでしょうか。
道路は簡易舗装で応急処置をしたつぎはぎ道路ばかり、補修して無くても路面は複雑にうねっていて運転には気が抜けない。
道路の端で測量器を覗き作業しているのは、地震後の影響調査なのか工事用の測量なのか。
橋の部分だけは頑丈に出来ているのか、そこだけが平らで橋の前後が陥没している為に橋を通過するたびに車が軽くジャンプをしていた。
こんなに道路が非道い状況なのに橋が大丈夫ってことは、多分、昭和39年(1964年)6月16日の「新潟地震」で昭和大橋の橋桁がパタパタと落下してしまった、あの時の教訓が生きているんでしょう。
栃尾から川口方面への帰りで、私の車のカーナビが示した道は山古志村経由だった。
通行止めの道を避けて進んだのが、その道も道路が崩れていてそこより先へは入れなかった。
初めて目にする災害現場やボランティアセンターの様子に只々、感心したり驚いたり。
どこがなんだか、何がなにやらさっぱり分からん。第一、地名が分からんし位置の確認が出来ない、地図を覚えないことには遣って行けないな。
書類の作り方や、仕事の流れも細切れに聞くのでメモをとっても繋がりがさっぱり分からん、兎に角早く慣れることだな、慣れない事には仕事にならんからな。
こんな事で数十年前の新入社員当時の戸惑いを思い出してしまった。
新人に対する指導は果たして適切に出来ていただろうかと、そんな想いがフッと頭の中を過(よ)ぎった。
宿泊場所は中越センター(何かの倉庫だった建物)の2階に木製の一人用スペース(1畳強)の中に毛布を敷き寝袋を入れて寝る。