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迷走セブン&アイ(上)任せていただけないか

2016年04月21日 | 企業研究
【迫真】迷走セブン&アイ(上)任せていただけないか
日本経済新聞 朝刊 2016/4/21 3:30


 18日午後、セブン&アイ・ホールディングス本社(東京・千代田)の9階にある会長執務室。取締役の井阪隆一(58)はある決意を持って会長の鈴木敏文(83)のもとを訪ねた。


 「会長を尊敬している。今後も顧問として残ってほしい」と訴える一方、「経営は私に任せていただけないか」。セブン&アイ社長への昇格が内定していた井阪はグループの全役職から退任する意向の鈴木にこう迫った。

 2カ月前――。同じ執務室で鈴木はコンビニエンスストア事業を担う中核子会社、セブン―イレブン・ジャパンの社長を務める井阪に対し、社長を退くよう命じた。わずか2カ月で2人の立場は大きく変わっていた。

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 セブンイレブン大卒社員1期生の井阪は商品開発部門を歩み、グループ共通のプライベートブランド(PB=自主企画)「セブンプレミアム」の立ち上げで中核の役割を担った。その実績が鈴木の目に留まり、2009年に生え抜きの社員で初めて社長に就任した。

 米国生まれのセブンイレブンだが、育ての親は鈴木だ。おにぎりや弁当を並べ、銀行も備え生活に欠かせないインフラに育てた。井阪を社長に据えた当初、「後継者として検討したい」と話すほど期待していた。

 グループの利益の8割を稼ぐセブンイレブンは16年2月期まで5期連続の営業最高益と業績は好調だ。その裏側で2人の師弟関係はぎくしゃくするようになっていった。

 鈴木は部下と厳しく接することでやる気を引き出す経営者だ。井阪には役員会などで叱責することが常態化していた。期待が大きかった分、「今のセブンイレブンからは新しい商品やサービスが出てこない。おれの考えていることをやっているだけだ」と不満を募らせていった。

 井阪は米セブン―イレブンへ異動する――。15年はじめにはこんな臆測が社内で公然とささやかれるようになっていた。

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 鈴木の下した決断が微妙だった2人の関係にひびを入れた。セブン&アイの主要株主である三井物産グループとの取引を減らすと言い出した鈴木に対し、井阪は「セブンプレミアムの商品開発で貢献してもらっている。コンビニの取引先にまで口出ししないでほしい」と強硬に反対した。

 三菱商事は三菱食品、伊藤忠商事には伊藤忠食品、日本アクセスとグループに有力な食品卸を抱える。競合との力関係で見劣りする三井物産に鈴木は満足できなかった。

 15年秋の三井物産からの意外な提案も鈴木の三井物産離れを加速させたとみる関係者がいる。米マクドナルドが検討している日本マクドナルドホールディングスの株式の売却に絡み、会食の席で三井物産首脳は「興味はありませんか」と持ち掛けた。鈴木は「相乗効果がない。コンビニをまったく理解していない」と一蹴した。

 その後、井阪の反対を鈴木が押し切り、セブンイレブンは三井物産系の三井食品との取引の大幅削減を決めた。代わりに食品卸3位の国分グループ本社と結んだ契約は年間1000億円を超える。ほとんど付き合いのなかった国分が一躍、大口取引先となる異常な事態。競合する食品卸のある幹部は「三井物産によほどのミスがあったなら分かるが、そんな噂は聞こえてこない」と驚きを隠さなかった。


 15年末には井阪の統率力に対する鈴木の不信が一気に膨らむ事件が起きた。セブンイレブンの幹部2人に関する怪文書がグループ内で出回ったことだ。パワーハラスメントなどを指摘された幹部のうち、1人は降格となり、もう1人が代わりに昇格するという不可思議な幕引きとなった。醜聞騒動を未然に防ぐことができなかった井阪に鈴木は見切りを付けた。

 鈴木が井阪に退任を求めた2月以降、2人の確執は先鋭化する。4月初旬のセブンイレブンの執行役員会議。鈴木が「今のセブンイレブンには新しいモノが何もない」と声を張り上げた。いつもなら沈黙が続くその場で「数字はしっかりとついてきている」と井阪はすぐさま反論した。

 直後の7日、鈴木はセブン&アイの取締役会に井阪をセブンイレブンの社長から外す人事案を諮った。

(敬称略)



 セブン&アイの中興の祖、鈴木敏文氏が経営の一線から退く。カリスマ経営者の引退に至るまでの迷走を追う。