魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

敦賀港 金ヶ崎城跡など

2018-08-16 | 史跡
8/15(水)10:10 金ヶ崎城跡・金崎宮前のPに到着。



「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。

その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。

何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。

今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、

地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。

「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。

車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
 2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)



織田信長が、朝倉攻めの際
妹のお市から両端をしっかり縛った
小豆袋が届いた話は有名。

これによって
味方だったはずの浅井の裏切を知り
命かながら逃げ帰った。

この城がその場だったとは
知らなかった~。

前日ほどではないが
高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと



南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。



南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても
ちっとも分らなかったが、

少しばかり分かりかけてきた気が…。

金ヶ崎城跡の頂上
月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。



「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。

金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
 ↓                  ↓


これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。

金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。

でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
               ↓


下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
    ↓


いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?

港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」



赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。



北陸本線の歴史や
特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると…。

懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと
一抹の寂しさも。



1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。

明治45年
東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。

観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。

敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。

退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
      ↓


リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に



日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。

ビザを手にしたユダヤ人達は
シベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り
船に乗り換えて敦賀に上陸。
      ↓


「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。

その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。

そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。



敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。



このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、

大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。

帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。

売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。

杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。

3人でおしゃべりが盛り上がった。

・上からの命令に従っただけの小役人で、
 ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
                     ⇒こちらを     
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原

果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?

2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人

この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…

上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」

これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。

特に医療分野では、まさに

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

   の精神で働いている医療従事者が多い。

ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」

この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿