8/15(水)10:10 金ヶ崎城跡・金崎宮前のPに到着。
「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。
その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。
何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。
今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、
地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。
「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。
車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)
織田信長が、朝倉攻めの際
妹のお市から両端をしっかり縛った
小豆袋が届いた話は有名。
これによって
味方だったはずの浅井の裏切を知り
命かながら逃げ帰った。
この城がその場だったとは
知らなかった~。
前日ほどではないが
高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと
南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。
南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても
ちっとも分らなかったが、
少しばかり分かりかけてきた気が…。
金ヶ崎城跡の頂上
月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。
「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。
金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
↓ ↓
これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。
金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。
でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
↓
下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
↓
いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?
港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」
赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。
北陸本線の歴史や
特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると…。
懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと
一抹の寂しさも。
1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。
明治45年
東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。
観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。
敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。
退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
↓
リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に
日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。
ビザを手にしたユダヤ人達は
シベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り
船に乗り換えて敦賀に上陸。
↓
「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。
その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。
そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。
敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。
このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、
大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。
帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。
売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。
杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。
3人でおしゃべりが盛り上がった。
・上からの命令に従っただけの小役人で、
ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
⇒こちらを
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原
果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?
2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人
この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…
上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」
これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。
特に医療分野では、まさに
「赤信号、皆で渡れば怖くない」
の精神で働いている医療従事者が多い。
ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」
この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。
「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。
その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。
何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。
今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、
地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。
「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。
車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)
織田信長が、朝倉攻めの際
妹のお市から両端をしっかり縛った
小豆袋が届いた話は有名。
これによって
味方だったはずの浅井の裏切を知り
命かながら逃げ帰った。
この城がその場だったとは
知らなかった~。
前日ほどではないが
高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと
南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。
南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても
ちっとも分らなかったが、
少しばかり分かりかけてきた気が…。
金ヶ崎城跡の頂上
月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。
「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。
金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
↓ ↓
これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。
金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。
でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
↓
下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
↓
いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?
港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」
赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。
北陸本線の歴史や
特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると…。
懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと
一抹の寂しさも。
1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。
明治45年
東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。
観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。
敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。
退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
↓
リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に
日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。
ビザを手にしたユダヤ人達は
シベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り
船に乗り換えて敦賀に上陸。
↓
「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。
その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。
そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。
敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。
このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、
大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。
帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。
売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。
杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。
3人でおしゃべりが盛り上がった。
・上からの命令に従っただけの小役人で、
ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
⇒こちらを
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原
果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?
2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人
この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…
上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」
これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。
特に医療分野では、まさに
「赤信号、皆で渡れば怖くない」
の精神で働いている医療従事者が多い。
ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」
この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。
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