東銀座⇒蔵前⇒仲御徒町と地下鉄で。
そこから徒歩8分くらいで旧岩崎邸に到着。
一般道との境の塀。赤レンガの表面に黒漆喰。
↓
この内側にある鉄の門扉の間を通り
長い坂道を歩いて行くと
ドーンと目の前に現れるヨーロッパのお城のような建物。
十数年前に1度訪れたことがあるのだが
その時に撮った写真のデータをほとんどを
誤って消去してしまった。
でも、その時に買った本に
たくさん写真が載っているので
↓ まぁいいか…、と思っていたのだが
全国各地で、明治時代の
洋風建築を見て歩く度に
もう一度、訪れてみたくなってきた。
写真は購入した本に
一般人が撮れない写真を含め
たくさん載っているが
やはり自分でも撮ってみたいし…。
坂道の最後にある塀の北端には
岩崎家の家紋 三階菱 ↓ が彫られている。
前回は、これには気づかなかった。
これが、我々になじみの三菱マークの基になっている。
建物に近づくと、窓の上などに精緻な装飾が見えるが
安いカメラでは撮れない😢
石の彫刻のように見えるが漆喰のようで
日本の建築技術が多用されているのが面白い。
設計者はジョサイア コンドル。
日本を愛し、日本女性を妻とし
日本人建築家を育て、日本に骨を埋めたイギリス人。
入館料は一般…400円、65歳以上…200円と
安すぎるくらい。
洋館(迎賓館)の玄関から入ると
すぐ左に見えるのが豪華な暖炉。
洋館における暖炉は、和室における床の間のように
部屋の装飾の最も重要な要素。
大理石製で、表面にはタイルが張られている。
岩崎邸では暖房用具としては使われたことはなく
暖房は重油によるスチームだったと。
その暖炉の前にある柱は、木製で漆塗り。
洋館最高の見どころ。
↑
ここから中庭に出られるのだが通り抜け禁止。
ロープが張られているところから
中庭とバルコニーを撮影。 ↓
このタイルはビクトリア時代のミントン製。
イスラム風のデザインが美しく
上の写真集には、きれいな写真が載っている。
1階の見どころは婦人客室。
天井は絹糸の刺繍👀‼️
部屋の角に立つ木製の彫刻も精緻で優美。
床は寄木細工! 日本の木工建築技術を
総結集して作られていることがわかる。
暖炉はイスラム風で、柔らかい曲線美。
部屋ごとにある暖炉全てのデザインが異なり
美しさに目が引かれる。
2階に上がり
たくさんの客室などを見て回ったが
前回同様、金唐革紙の壁紙が圧巻。 ↓
全ての部屋の壁紙も暖炉も異なるが
だんだんと疲れて来て、撮る気力は低下…😓
フェンスが美しい2階のパルコニーには出られる。
1階に降りて和館(岩崎家の住居)に。
玄関は閉鎖されているが、ステンドグラス。
洋館と和館をつなぐ渡廊下の
天井の梁などは、三階菱を模したデザイン。
この廊下を抜けて右の廊下の奥を見ると
みみずくの絵が描かれた板戸。
そこから進むと次之間(18畳)で
今は売店・喫茶室となっている。
襖の奥に見えるのが広間(20畳)の床の間 ↑
この障子も三階菱を模して造られている。
次之間で小岩井農場のアイスクリーム
にエスブレットをかけて一休み。
小岩井とは次の3名の頭文字をとって
つけられたのだと!
・小野義真(日本鉄道会社副社長)
・岩崎彌之助(2代目社長 初代の弟)
・井上 勝(鉄道丁長官、小岩井農場の初代農場主)
1891年に開設され、出資は三菱
三代目社長 久彌氏 は直接農場の経営に携わった…なんて
ぜーんぜん知らなかった。
前回の訪問時の、小岩井農場や
アイスクリームの記憶は全くない。
アイスクリームを食べながら
釘隠し・襖の取っ手も菱形を模して
造られているのを眺め、撮影。
これらも前回見た記憶がない。
アイスクリームを食べ終わって廊下に出て
庭を見ると
手水鉢・石灯篭の向こうに洋館が見える。
その廊下の天井は18mの檜の無欠点(節目が皆無)の1枚板!
現存する和館はごく一部で
以前は広大な和風建築があり
関東大震災時は、被災した地元の人々に開放され
1万人とも2万人ともいわれる人々が
避難し、仮住まいしていたのだと。
戦後は、GHQに接収され
洋館の壁紙などの上にペンキが塗られ
元の姿がわからないほどの状態になったという。
その後、最高裁判所研修所等に使われ
この時に和館の大広間をのぞき
和館の大部分が壊されてしまったのだと。
東京都に寄贈されてから
壁紙などの修復に大変な苦労したそうな。
この邸宅を作ったのは三代目社長岩崎久彌氏。
その長女が沢田美喜氏で
エリザベス・サンダースホーム
(混血児のための孤児院)の創設者 。
彼女は今の お茶の水女子大学附属中・高に
通っていたのに、15歳で中退。
そこで、家庭教師に来てもらうことになり
その1人が津田梅子氏!
そんな女性達がこの和館で
過ごしていたことにも感動してしまう。
帰途につく前に、別棟の撞球室に。
スイスの山小屋風の作りだが
正倉院のような校倉作りが多用されている。
天井見ると美しい曲線のトラスト構造。
ビリヤード台はなく、昭和10年代からは
図書室として使われていたのだと。
洋館とつなぐ地下道があるそうだが
立ち入り禁止で入れない😢
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』福山雅治主演や
『晴天を衝け』吉沢 亮主演では
岩崎弥太郎・三菱を悪く描き過ぎるように思えて
私はとても不愉快な気分になった。
三井のように、数々の公害を引き起こしたり
三池炭鉱の炭塵爆発で
大勢の人々を死なせたりしたわけでもなく
西南戦争の物資・兵士輸送で儲けたお金で買った
六義園・清澄庭園は、三代社長時に東京市に寄贈した。
金持ちの誰かに買ってもらわなかったら
庭園を保存・管理できないのが現実。
この岩崎邸も戦後に東京都に寄贈されたおかげで
こうして我々庶民が
この素晴らしい文化に触れることができる。
洋館を出るときに
靴を入れる袋を受け渡しを担当されている
高齢男性が、とても賢そうに見えたので
「三菱で働いておられた方ですか?」と尋ねたところ
「そうです。順番でしています」
と、凛とした答えが返って来た。
「そうだよな~、三菱で働いていたことが
彼らの誇りなんだよな~」
と思ったとたん、おのずと
「ありがとうございました」と声が出てて
深々とお辞儀して、帰途に就いた。
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