ビルボードのHot100で、
あと一歩届かず、Top10入りを逃した、
最高位11位の曲、1981年の3曲目は、
6月から7月にかけて、
3週間、11位を記録した、
このロックンロール・ヒットです。
Gary U.S. Bondsの
"This Little Girl"ですね。
同年リリースのアルバム
"Dadication"からのカットでした。
4月の最終週に、67位でNewエントリー、
翌週には、40位にアップして、
9週目に、11位まで上りつめたのですが、
その後は、3週間、11位に止まったものの、
Top10入りは果たせなかったようです。
Gary U.S. Bondsは、フロリダ出身の、
60年代前半に、大活躍したシンガーで、
60年の"New Orleans"や、
65年、Hot100でNo.1になった
"Quarter to Three"などの曲で
知られた人でありました。
その後、60年代後半からは、
ヒットらしいヒットもなく
81年当時は、言わば、
オールディーズ歌手のような
存在だったわけなのですが、
約20年ぶりくらいの、
復活ヒットとなったこの曲は、
あの、Bruce Springsteenが、
作プロデュースしたことで、
大きな話題となって、
チャートを駆け上がったんでしたね。
9年くらい前の映像のようですが、
BOSSのライブに、Garyさんが
ゲスト出演した映像がありましたので、
こちらも貼ってみたいと思います。↓
この、大物ロッカーが、
懐かしのシンガーを復活させる動きは、
この翌年にもありまして、
Tom Pettyが、『悲しき街角』"Runaway"の
Del Shannonの82年のアルバム
"Drop Down and Get Me"をプロデュース、
こちらも、アルバムから、
"Sea Of Love"のTop40ヒットを
もたらせましたね。
1981年6月20日付けのビルボードHot100
です。
1位は、メドレーブームの先駆けとなった、
あのユニットの、あの名曲です。
※次回は、Let's Go Dancin'!です。
あと一歩届かず、Top10入りを逃した、
最高位11位の曲、1981年の3曲目は、
6月から7月にかけて、
3週間、11位を記録した、
このロックンロール・ヒットです。
Gary U.S. Bondsの
"This Little Girl"ですね。
同年リリースのアルバム
"Dadication"からのカットでした。
4月の最終週に、67位でNewエントリー、
翌週には、40位にアップして、
9週目に、11位まで上りつめたのですが、
その後は、3週間、11位に止まったものの、
Top10入りは果たせなかったようです。
Gary U.S. Bondsは、フロリダ出身の、
60年代前半に、大活躍したシンガーで、
60年の"New Orleans"や、
65年、Hot100でNo.1になった
"Quarter to Three"などの曲で
知られた人でありました。
その後、60年代後半からは、
ヒットらしいヒットもなく
81年当時は、言わば、
オールディーズ歌手のような
存在だったわけなのですが、
約20年ぶりくらいの、
復活ヒットとなったこの曲は、
あの、Bruce Springsteenが、
作プロデュースしたことで、
大きな話題となって、
チャートを駆け上がったんでしたね。
9年くらい前の映像のようですが、
BOSSのライブに、Garyさんが
ゲスト出演した映像がありましたので、
こちらも貼ってみたいと思います。↓
この、大物ロッカーが、
懐かしのシンガーを復活させる動きは、
この翌年にもありまして、
Tom Pettyが、『悲しき街角』"Runaway"の
Del Shannonの82年のアルバム
"Drop Down and Get Me"をプロデュース、
こちらも、アルバムから、
"Sea Of Love"のTop40ヒットを
もたらせましたね。
1981年6月20日付けのビルボードHot100
です。
1位は、メドレーブームの先駆けとなった、
あのユニットの、あの名曲です。
※次回は、Let's Go Dancin'!です。