今日中に仕上げたいと思っていたみ声新聞連載まんが「ブリストルの風」ですが、10年以上前に描いた「日本キリスト教史 上」の問い合わせが読者の方からあり、その資料を探すのに時間がかかってしまいました。
結局、まだ見つかっていないのですが、ご要望に答えられるように祈るのみです。かなりの資料から見つけるわけで、家にないのは、図書館から借りてきましたがどうも違うようです。
本の後ろにある、関係資料を全部細かく探さないとだめなようです。いつになるか検討がつきませんが、感謝ですね。
忠犬ハチ公は、帝国大学(現・東大)教授の上野博士に1924年に飼われました。
上野博士が亡くなったのが、1925年なので、1年しか一緒に暮らしたことがなかったのです。
上野博士が亡くなった日から、3日間は餌を食べなかったそうで、いつも見送りに行っていた渋谷駅の前で待つようになりました。このとき、上野博士が飼っていたS(エス)とポインターのジョンも一緒に行ったそうですが、その後、2匹は、どうなったかは分かりません。
ハチ公ももらわれて行きましたが、戻ってきて渋谷駅前で上野博士の帰りを10年間待つようになりました。
初めは、周りの人に邪険にされましたが、かわいそうに思った方が新聞に記事を書いたので日本中に知られるようになり、スーパーアイドルになりました。
「アルプスの大将」という、映画にも13秒位出ています。渋谷以外に、秋田県の生家の前と駅前に銅像があり、剥製は、上野の国立科学博物館にあります。
ハチ公像は、1934年に1年間で集められた献金で作られ、ハチ公も除幕式に出席しています。
しかし、翌年1935年に、ハチ公はいつも待っていた所の反対側で死んでました。
第二次世界大戦の時、金属不足のためハチ公像も溶かされて機関車の部品となったのが、な・なんと終戦の前日の1945年8月14日でした。戦後1948年に、前ハチ公を作った安藤さんの息子さんが作られたのが今のハチ公像になるそうです。
ハチ公と上野博士は、たった1年しか一緒に暮らさなかったんですね。
「駅前の焼鳥屋の屋鳥が欲しかったから、通ったんだ。」と言う方もいますが、それは、悲しい考えだなーと私は思います。