まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

ヨルダン・イスラエルチーム

2011年11月05日 | 聖書

ヨルダン・イスラエルチームで語られた御言葉です。

11月2日 創世記1:1~5
「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。」

11月3日 エペソ1:22~23
「また、神はいっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを教会のお与えになりました。
教会は、キリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

11月4日 ルカ25~34
「さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。
『わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることはできません。
自分の十字架を負って私について来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
塔を築こうとするとき、まずすわって、完全に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。
基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。
もし、見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。
そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産を全部捨てないでは、私の弟子になることはできません。
ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。」

11月5日 マルコ16:7
「ですから行って、お弟子たちとペテロの、『イエスは、あなた方より先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」とそう言いなさい。』」

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恵みで嬉しい!

2011年11月05日 | Weblog

マーリン・キャロザースさんのまんが「牢獄から賛美へ」の最初からの見直しをしています。
スクりントーンが、はがれかけていたり、べた(黒)の塗り忘れなど、細かい手直しがいくつかあります。
私のミスで説明不足のページはジ時間のある時に、直す予定でいますが、そんなに時間がかからないで直せそうです。
手直しであっても、原稿が1枚1枚出来上がって行くのを見ながら、本当に嬉しくなります。
マーリンさんのまんがを書くことができるなんて、本当に恵みで、嬉しいです。

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幕末明治の写真

2011年11月05日 | 歴史

昔から、古い時代の写真が好きなので、幕末明治の写真集はいろいろ買っていました。
ですから、「日本キリスト教史下・浦上キリシタン物語」などの資料にそれが役に立ちました。
この作品を書くとき、大政奉還とか廃藩置県とかの意味がやっと分かったわけです。
学校で習った時は、何にも頭に入りませんでした。
最近分かったことは徳川幕府が崩壊したことで、徳川の力はほとんどないものだと思っていたのが大間違いだと言うことでした。
それまでは、倒れた先の勢力と言うのは、ほとんどが殺されていることが多いので、徳川の子孫もそうなのかと漠然と思っていました。
平家も源氏も織田・豊臣も、みな次の時代では活躍していないわけです。
ところが、勝海舟の裏工作で江戸城は無血開城され、自ら謹慎生活に入った徳川慶喜のために篤姫や和宮などが命乞いをします。
そのため、徳川慶喜は隠居となりますが、16代将軍になるべきだった亀之助(6才)に駿河府中70万石が与えられます。
この時、府中と言うのは、不忠に通じると言うので、静岡と言う名前に変えられました。
その後、最後まで明治政府と戦った榎本武揚や大鳥圭介などは、明治政府の要人として活躍します。
そして、亀之助は成人して徳川家達(いえさと)となり公爵となり、貴族院議長を約30年続けるのです。
弟の達孝(さとたか)は、伯爵となり大正天皇の侍従長になります。
個人的のは、この弟の顔や感じが好きです。
一度は、総理大臣に推薦されますが、断ったこともあります。
徳川慶喜の正妻は明治天皇の正妻と、血は繋がっていませんが、姉妹でもあります。
それゆえ、明治天皇からも、特別に目をかけられ、遅ればせながら公爵となります。
そして、娘や孫が秩父宮妃や高松宮妃になるわけです。
それを思うと、徳川家と言うのは天皇家とかなりつながりがあると言うことがよく分かりました。
ところで、昔は写真に撮られると、魂が抜かれるとか、まん中の人は早死にすると言われました。
この時代の写真で、不思議に思っていたのは、みんな手を袖の中に入れているのが多いことです。
その理由が、さっき分かりました。
なんと、手がうつると、手が大きくなると言われていたので、みんな手を隠していたわけです。
誰が言いだしたか分かりませんが、面白いですね!

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