記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

西鉄百年と宮地岳線一部廃止とギンギラと不発弾!

2007年03月16日 22時46分49秒 | 鉄道
 西日本鉄道は来年が操業百年。資料提供で協力したり、早くも
来年の記念企画展も話を進めている。西鉄電車「コンパス」57
号(最新号)はこの3月末で一部路線が廃止となる宮地岳線の特
集である。連日、鉄道ファンが撮影などで押し掛け賑わっている
ようだが、私も撮影に行きたくてウズウズしている(笑)。この
時期は毎年、一年で一番仕事が忙しい季節なので、この状態がす
でに2ヶ月続いているのだからたまらない!

 今週末はなんとか撮影に行くべく、デジカメの手入れにも余念
がない。ようやく今日16日で大半の仕事案件のヤマ場を乗り切
ったので、撮影小旅行も解禁である。

 「コンパス」では56号から西鉄100周年記念連載が始まっ
ている。第2回目の今回は、私も西鉄沿線の古い絵葉書資料を提
供し協力した。企画は劇団ギンギラ太陽sの大塚ムネト氏である。

http://www.nishitetsu.co.jp/nnr/inf/com-pas/

ギンギラの舞台はとにかく楽しい。基本的にというか全てカブリ
ものの演劇であり、ネタは福岡市の近代史から町の遍歴、文化に
題材を取り大半が史実をもとに構成される。

 カブリものは普通は人物や動物であるが、この劇団はモノであ
る。つまり今回4月講演のテーマ「流通戦争」だと、この10年
に福岡から無くなったデパートの福岡玉屋、伊勢丹が実質経営を
して再建中の岩田屋、博多から天神へ移りたくましく生きる大丸、
その大丸の跡に入居し繁盛したも経営判断を間違い倒産した寿屋、
地元の雄として君臨した渕上デパート(ユニード)はダイエーに
経営統合され、そのダイエーも経営再建中、そしてこの3月末で
JR博多駅の建て替えに伴い追い出される博多井筒屋…等々。

 ギンギラの舞台はこれら擬人化された、時代を築いた商店企業
や、西鉄電車やバス、飛行機といった交通、到津遊園やだざいふ
園のような遊園地まで幅広い。さらにひよこ、博多ぶらぶら、チ
ロルチョコなどが活躍する「ひよこ侍」シリーズも爆笑である。
ひよこ侍はかの嘉穂劇場の再建こけら落とし公演が一昨年開催さ
れたのも記憶に新しい。

 そして、前回は悲劇の航空機プロジェクト「シンデン」が取り
あげられて感動を誘った。戦時下、ゼロ戦闘機の後継機として開
発が進み完成しながら、終戦に間に合わなかった名機。しかし、
この開発技術を一番最初に取り入れた西鉄バスは戦後飛躍し、今
も全国バス保有台数日本一であり、西鉄方式として全国へ広まっ
ているのである。それら、福岡・博多の歴史をギンギラは楽しい
芝居の中で我々に伝えてくれるのだ。

http://www.gingira.com/

 先日、私の住む博多区東比恵で370発もの不発弾が発見され
一時大騒ぎとなった。娘が通う小学校の目の前、昔はいすずの自
動車工場があった場所。しかし不発弾には弾頭が入っておらず、
戦時中の旧日本軍のものと判明した。

 この場所は旧板付基地(席田=むしろだ飛行場=現在の福岡空
港)からも数百mの距離。昭和19年、席田空港の造成が決まる
際には、小学校に隣接してあった福岡商業(現在は東福岡高校)
で調印式や造成指揮が取られていることから、航空機用のものか
それとも陸戦用の弾頭か、はたまた「シンデン」用の弾頭ではな
かったかと想像がふくらむ。

 娘たちは、福岡大空襲や戦争のことは遠いものと思っていたよ
うだが、当時の不発弾が残っていたことで、改めて戦争について
考える機会になったようである。私の住む町内の45歳以上の方
たちの多くは、子どもの頃に板付米軍基地に忍び込んだりして、
怒られた記憶のある方ばかりである(笑)。地域の記録を子ども
へ伝えるのも、地域の大人の大事な役目だと実感する。

※写真は不発弾のあった場所を中心にした大正期の地図。左上に
 旧博多駅(現在の祇園)がある。不発弾のあった界隈は、一面
 田園風景である。
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