記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多のこと、小倉のこと、松山のこと、初三郎のこと。

2008年04月27日 22時04分24秒 | 博多部
 27日、「博多カレンダー委員会(仮称)」の発会式に出席した。
冷泉での活動を認めていただけたのか、委員に推薦いただき今日が委員
6名の初顔合わせとなった。博多のお歴々の前で久しぶりに緊張しまく
りであった。これをきっかけに、冷泉だけでなく博多部全体の新旧写真の
アーカイブ化も実現できたらと思う。

 24日、東広島の大津様を訪問した。「小倉市鳥瞰図」絹本を拝見、
昭和35年の「小倉市市制60周年記念・小倉大博覧会」の際のPR用
鳥瞰図であることが確認できた。状態はとても良く、また戦前や昭和25
年の鳥瞰図の構図を活かした良い図である。もちろん二代目・初三郎こ
と朝太郎氏の作品である。小倉球場や復元された小倉城天守閣がちゃん
と描かれていた。

 十千万洞(とちまんどう)や大津氏の情報は、伝え聞いていたものと
かなり違っていた。戦前は下関駅前で印章店を経営していたとのこと。
戦後、疎開先から戻る際に元の店は焼失しており小倉・黄金町に移った
そうだ。印章店はご主人が行い、奥さまは「みそ屋」を営んでいたとの
こと。

 聴き取りを続ける中で、大津氏は当時の小倉復興に尽力した方である
ことが判明。黄金町商店街に遺る祇園太鼓像などは大津氏の寄贈、また
銀天街(魚町)のアーケード化などにも尽力したそうだ。小倉城の天守
閣復元の際には、いち早く城内で「祇園煎餅」を売り出し、黄金町には
映画館も所有経営していたそうだ。

 また、小倉で最初のスーパーマーケットも大津氏の仕掛けたものだと
いう。これは改めて小倉の近代史を確認し直し、8月に再度取材を行う
こととした。さらに、昭和30年代には大津家に「下関市鳥瞰図」の絹
本があったことも判明。

 しかし下関市立長府博物館に収蔵されているものとはサイズや状態が
明らかに違う、別の作品のようである。氏本人が原画を観に人が訪ねて
きた時に、必ず鳥瞰図を広げる手伝いをさせられていたとのこと。畳2
枚分以上(4m以上)の幅があったというから、これは昭和25年の
「下関市鳥瞰図」の絹本だったのかもしれない。先代が亡くなった後、
その絹本がどうなったか判らないとのこと。また捜索の宿題が1つ出来
た。

 24日は松山に宿泊。25日朝6時、快晴の空に誘われてカメラを抱
えて市内電車の撮影に出掛けた。松山は4度目だが、道後温泉まで足を
伸ばしたのは初めてである。平日の朝、8時の通勤ラッシュ前にメイン
通りでシャッターをきる。自動車が増えてきてから道後方面へ少しずつ
移動して撮影を続けた。さすがに朝早くは道後温泉に近づくほどに車は
少なくなるからだ。私にとっては町中で撮影移動する際の基本である。

 道後温泉駅では折り返し電車やぼっちゃん列車を撮影。道後温泉の本
館は朝からお客が多い、西予市への移動時間も近づいたため入浴は諦め
て、商店街の「ぼっちゃん団子」やタルトをお土産に買った。古い団子
づくりの機械が店内に置いてあり、しかも現役。店のおばちゃんとの会
話も楽しむ。今は温泉駅前をはじめ、至る所に足湯がある。観光客、そ
れもおばちゃん達がどの足湯も占領していた(笑)。

今日の写真は、早朝の愛媛県庁前を行く松山市電。

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