少しだけ気になることを1つ。きれいに整備された出来町公園ですが、「九州鉄道発祥地」記念碑は現在のJR博多駅に近い公園南端に移設されてます。
手持ちの昭和5年の「博多駅」空撮写真に、碑がある場所を赤い丸で入れてみました。手前(写真下)が現在の博多駅に近い南側です。
Googleマップをみると記念碑の場所は整備前のまま。以前の位置なら問題なかったと思うのですが、土地区画整理事業の報告書をはじめ、古い博多部の地図などをみればみるほど、現在碑がある場所は「旧博多駅の構内=発祥地」とは言えない場所だったりします。上の写真を解説すると、構内というより、貨物持ち込みの出入り口だった場所です。
上の図は「博多駅65年史」掲載の開設当初の配置図。鉄道施設の大半は北側に集中。開設当時、駅の南側は藩政時代からの「房州堀」が遺っていたそうです(明治末に埋め立て道路化)。出来町公園を観察していただければ分かりますが、南北わずか100mほどの幅に1.5〜2mもの高低差があり、南側が堀跡&湿地帯だということも理解できます。
上の図では現在碑がある場所は、転車台の右下ということになるのでしょうか。いずれにしても、なぜこんな端っこに移設したのか謎です。まさか、現在の博多駅に近い方が良いだろうとか?
上の図は「博多駅地区区画整理史」に掲載の街路図です。昭和38年、区画整理後の道路がオレンジ色で示され、その下にみえる公園南側の道路も拡幅しまっすぐに付け替えられていることがわかります。碑を移した場所は、ひいき目にみても旧構内と旧道路の境目ですね。
個人的には、初代博多駅の1番線レール起点があった場所こそ、記念碑を建てる場所に相応しいと思うのは私だけでしょうか…。起点のあった場所は隣接するビルの一角だと思われ、となるとそれに近い公園北側が移設場所としては妥当だったかも。入念に練られた結果で移設されたんなら納得です(私の理解不足であることを願います)が、何も考えてなかったのであれば残念です。
とりあえず、観光拠点施設が整備されるそうですので「九州鉄道発祥地」碑も今まで以上に脚光をあびることでしょうし、その際「発祥地のそば」の碑というのも案内人ネタとしては重宝するかも(笑)。
新刊Vol,21「にしてつ電車の四季」Vol.22「西鉄8000形」フォトブックシリーズ全22冊
にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)
アーカイブ画像ライブラリー(アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並みアーカイブス)
KBC「栄光の西鉄ライオンズ」DVD紹介の特設ページ(企画構成・台本・監修を担当)
※掲載している文章・写真画像の無断転載・使用はご遠慮ください。