記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

ふるほん住吉通いで、昭和レトロなマッチ箱収集再燃!

2024年08月20日 22時55分24秒 | 福博まちの記憶

2024年4月、博多区住吉に山田くん(山田全自動、Y氏は暇人)経営の古書店「ふるほん住吉」が開店して、再燃しているMYブームが「昭和レトロなデザインのマッチ箱」集めだったりする。

山田くんは私も参加している絵葉書研究会(日本絵葉書研究会)のメンバー。彼と共に「ふるほん住吉」の店頭に週2日ほど立っているカサラキアユミ嬢も同様で、4月26日の正式オープン前(4月21日、研究会終了後)に研究会メンバーでお店に顔を出した。山田くん最初の書籍「福岡路上遺産」は、私の書籍を出版してくれていた海鳥社から彼を紹介してほしい、と相談を受けて山田くんに繋いだもの。彼に限らず、研究分野の異なる絵葉書研究会のメンバーを何人も紹介したので、幾つもの書籍が海鳥社から出版されている。

まだ店内構成の最中だったが、アンティーク絵葉書をはじめマッチ箱もたくさん仕入れていて、しかも福岡中心にデザインの優れたものが多くて収集熱が再燃してしまった(笑)。

今はお店でレジ横などに自店の広告マッチを置いている飲食店などは絶滅危惧種になっているが、平成の前半までは手軽な広告ツールとして当たり前のアイテムだった。喫煙による健康被害などが叫ばれ、規制によりテレビでタバコCMが流されなくなって久しい。代わりに名刺サイズのショップカードが登場した。

私がデザイン学校を卒業して1987年に広告デザインの世界に入った頃は、新人はまずマッチ広告など小物のデザインを担当することが普通だった。小さなサイズでクライアントの望むデザインを提案できるかが、修行のひとつだったように思う。まだデジタルに以降する前で、手書きのレタリング検定が必須だった頃の話。昭和のレトロなデザインのマッチ箱を見ると、忘れていた駆け出しの若い頃のことも色々思い出す。

たくさん集まったレトロなマッチ箱、実は今年春先にNHK福岡放送局制作で放送された「レジェンド食堂よ永遠に!」の冒頭で素敵に活用いただいた。上の写真がその一場面だ。福岡市内にある老舗飲食店をいくつか取り上げて、レジェンドメニューやお店を紹介するドキュメンタリー。地上波で最初に放送された30分短縮版と、BS8Kなどで放送された全編版があり、私は企画協力する中で美野島商店街の「かどや食堂」と今年最初の開店から90年を迎えた「カフェ・ブラジレイロ」を推薦し、採用いただいた。老舗や名店を表現するのに、私の手元にあるマッチ箱を使いたいという話になり、できるだけたくさん必要だというので段ボール箱に詰めて提供した。

マッチ箱のデザインは千差万別、同じお店でも時期が違えばデザインも異なる。上のマッチは1950〜60年代の「風月」のもの。喫茶風月では、新人画家の作品をマッチのデザインに採用していたので、同じ時期でも多種多彩だ。

ふるほん住吉では常時、店頭にマッチ箱を置いてくれて常に新しいものを補充してくれているので、1箱100円で好みのデザインのマッチを選ぶ楽しさは、お店で体験しないと分からない。私は元々、住吉・美野島エリアが日頃からの散策コースで、現在は週2日ペースで仕事で通う西日本鉄道の本社が住吉神社近くにあることもあって、その帰りに立ち寄ることが多い。山田くんも日々のSNSで投稿しているが、このエリアは地域猫もたくさん居るので散策はほんとに楽しい。

上はここ最近、ふるほん住吉で見つけて購入したマッチ箱の中でも一番のお気に入り。1948年夏に天神の商業施設が集って共同宣伝や交流のために誕生した「都心界」のマッチは初見だ。改めて、マッチ箱をケースに入れて飾ってみたり…。

私のマッチ箱コレクションの一部は、福岡市南区大楠の喫茶「薔薇とイワシ」店内のカウンターに展示してくれているので、興味ある方は美味しい珈琲を飲みがてら訪問してみてほしい。喫茶店のマッチ箱を中心にチョイスしているが、時々展示替えもしている。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの過去26回連載

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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