marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(658回) (その2)ヨセフは故郷の墓に埋葬された

2020-04-25 10:08:02 | 聖書・聖句

(あらすじ)ヨセフはヤコブの子供達の内、年寄り子だったので特別にかわいがられた。兄弟達は自分に頭を下げるようになるだろうと夢見る幼いヨセフに言われ、やっかまれて野において死んだことにされてヨセフは兄弟たちにエジプトに売られてしまったのである。しかし、夢を解く力が与えられていたヨセフはエジプトで試練にあいながらもその先を読む能力によってエジプトの宰相までのぼりつめ、作物のまったく育たない不況のなかで父ヤコブから言われ食べ物をエジプトに請いにきた兄弟たちに会うことになる。幼い夢は現実となった。しかし、兄弟達はまさかヨセフがこれほどエジプトで偉くなっているとは気がつかない。耐えられなくなったヨセフは身を明かす。父は元気か、みなは元気かと。そこで、不作つづきのカナンの地から父、兄弟一族を豊かなエジプトの地に呼び寄せたのである。やがて父ヤコブもそこで死ぬが、カナンの地で壮大な葬儀が行われた。***** 創世記37章から50章

◆(創世記50章12節~14節 ヤコブの埋葬) 「それから、ヤコブの息子たちは父に命じられたとおりに行った。すなわち、ヤコブの息子達たちは、父の亡きがらをカナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った。それは、アブラハムがマレムの前にある畑とともにヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。ヨセフは父を葬った後、兄弟たちをはじめ、父を葬るために一緒に上って来たすべての人々と共にエジプトに帰った。」****(父がなくなって、昔、ヨセフを売り飛ばした兄たちはヨセフが仕返しをするのではと恐れた。・・・そこで人を介してヨセフに言わせた。)

◆(創世記50章16~21節)「お父さん(ヤコブ)はなくなる前に、こう言っていました。『おまえ達はヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎(とが)と罪を赦してやって欲しい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たち(自分たち)の罪を赦してください。」・・・これを聞いて、ヨセフは涙を流した。・・・「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか、恐れないでください。。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、やさしく語りかけた。(創世記50章16~21節)

◆(創世記50章22節~26節)ヨセフは父の家族とともにエジプトに住み、百十歳まで生き、エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。・・・ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」・・・それから、ヨセフはイスラエル(天使から与えられたヤコブの名前)の息子たちにこう言って誓わせた。*****「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。その時にはわたしの骨をここから携えて上ってください。」・・・ ヨセフはこうして百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。

・・・それから長い時が流れ、ヨセフも知らないファラオも現れ、エジプトの地で増え続けるイスラエル人を恐れて、奴隷として使うようになる。神は、民の苦しみのあえぎに応えるようにして、モーセという人物を起こしたのです。「神は必ずあなたたちを顧み・・・」その言われたことを成就せんがために・・・。そして、ヨセフの亡きがらは、故郷の墓に上るために、あのモーセの引き連れた脱出の一団とともにあの割れた紅海を渡ったのである。実は、モーセは神の示された地には直前で入れなかった。後を継いだヨシュアがその目的を果たすのだ。

◆(ヨシュア記24章32節)イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。

****僕は、誰でもが行くであろう別の世界、その眠るお墓のことを思うと、いつもこの壮大なドラマを思い感動するのです。


世界のベストセラーを読む(657回) (その1)ヨセフは故郷のお墓に眠った

2020-04-25 06:11:25 | 聖書・聖句

 ◆山があり、海に囲まれ、清い水が流れ、太陽が海から昇る国で。この季節、自然に接し、青空のもとすべてがワクワクしているなぁ、と陽の下で感ずることはこの国に生まれてよかったなぁ、といつも思うこと。・・・京都の大原という所に、山菜だけを自然から採ってきて料理するお店があるのをテレビで見た。ツクシは食べられるのだったなと思いながら先日、田舎にいった途中で採取したツクシと小さい蕗のとうを採ってきた。ツクシはおひたしにしカツヲ出汁でいただき、蕗のとうはすり鉢ですって味つけお味噌に混ぜていただく。いい香り、ちょと贅沢な気分・・・。さて、この国、日本の田舎の現場から突然に聖書の世界のだ、しかもお墓の話。前のブログに書いた聖書の疑問について、僕は聖書に書かれたその数行を読んだ時にとても感動したのだ。

◆彼らは、聖書の選民族は遊牧の民。そもそも固定化された定住地をもともと持たなかった。それに、歴史上の離散もあり、大変な辛酸を嘗めた。今も、何かと物議を醸している。しかし、人をも創造されたと言われるその神は、世界中にこの地球上の三次元のフィジカルな現場で、天地を創造した神を知らない世界(全人類)に、永遠の世界へと導こうとされている、その為の状況設定ではなかったかと思いを巡らすと思わされてくる。まさに、壮大なドラマであると。・・・いつもの前置きはこれくらいにして

◆その疑問と、その応えを読んだ時の感動は、次のことだ。僕が聖書など読んでいない昔、映画で見た「十戒」、それは旧約に書かれたモーセが現れて海が割れてのエクソダス(脱出)、それはエジプトからの脱出だったろうに、今のイスラエル(昔カナンの地)とは違う場所だろうにと。聖書とは、なにやら神と呼ばれる物語を集めたものなのかと。その断絶していると僕が思っていたことなのだ。

◆しかし、その応え。その箇所は、創世記37章からヨシュア記24章まで関わる。聖書に多数の名で人がでてくるが、掲題のヨセフとは、旧約ヤコブの子でエジプトの宰相まで上りつめたあのヨセフである。ヨセフも死に、それから以降のモーセが出てきてのドラマの中で、断絶の時間と思われていた長い長いその時代も、とうに忘れられても当然のようなさまざまなドラマの中で、彼らは決して故郷(ヨセフとっては故郷のお墓に入るという願い)に帰還することを忘れてはいなかったことだ。あの壮大なドラマの中で、奴隷たるイスラエルの民に賛同した多くの民がエジプトからの脱出をはかるが、紅海が割れて脱出をはかる示されたカナンの地、その父ヤコブが眠る故郷の墓にヨセフの遺体を運んだのはあのモーセなのだ。ミイラとなったヨセフの遺体はあのドラマの中で紅海を渡り願いどおり故郷の墓に埋葬されたのである。・・・僕はこの話を感動的に思い出す。 ・・・ 続く