矢田津世子の『反逆』という小説を読んだとき、当時、読者はどう思ったのだろうか。何を? 素直に読むと恐ろしい内容である。何故にこういう題材を選んだのか? 自分の内心の何かに対する反発なのか。外形から来る美貌に急に水を差されたような思いで、メンタル的に融和したくなる美貌外見に水を差すような、この人とはつかず離れずに居ようと誰でもが思うだろうな。
坂口安吾に接吻されて、男はみんな馬鹿だと思ったのか、それとも社会において女という生き物の地位は、あまりに理不尽に満ちているということへの内心の反発か、あるいはまったくもって、権威をもって社会的にきれいズラをしているその地位に腹がたつような事情があったのか・・・。その動機を知りたくも思う。『神楽坂』という小説が芥川賞候補にもなった、とそれはそれとして、少なくとも『反逆』のような小説をかく根もあったわけだから、人の思考の基点が試されているのだ、この人生で。だから宗教性に関わる見解は、留意が必要なのである。
美人作家が、少なくとも小説の中のキリスト教界の牧師連中は、狐か狸だ。大噓つきだったと書いて、それが小説として一般大衆に流布されて、読まれて何を意図したものだったのだろう。いくらフィクションとは言え、この小説はまったくもっていただけないものだと思う。書き方は別にしてちょっとひどい内容。いくら他の作品があっても、命の本質にかかわる地雷を踏んだような作品だ。
霊として生きたもう神様が、これはいけない、早く、天国に来ていただこうと思われたのだろうな。文庫本の後ろの解説には、38歳でなくなったとあったが、津世子の文学館での解説では36歳の生涯だったあり、天の神様は早くつれて行かれたのだろう。
宗教性に関する内容には特に留意をしないといけない。肯定するも否定するも注意しないといけない。我々の命にかかわっているものについては、特に。世界のベストセラーを読むには、自分を知ることと、言葉の準備が必要なのである。