marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その8)文字(律法)に凝り固まった者たち、我らもそうか

2023-07-09 16:30:58 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

旧統一教会の宗教2世について

文鮮明にはキリスト☦が現れ、マホメットには天使ガブリエル👽が現れとご本人にとっては外部からの夢であろうが、幻であろうが、彼らはそのものにその幻影が現れ事実としてその肉体に啓示があったという。

冒頭からきちんと申せば、対象として私がそうだ!、キリストだ!ということは決してない。本来のプロテスタントは、本人自身が、キリストの霊、つまり聖霊にひとりひとりが預かるということを推奨するのみなのであるから。・・・とこんなことを書くと又、おいおい!なのだが・・・。

介在する司祭や牧師などに依存するや帰属意識をもつなどということは最も奨励しないことなのである。ここが信、不信のポイントである。実は神👽の声を聞くとは、本来の誰にも替えがたい自分の声を聴くことでもあるからなのである。だから普段の人が多く彼に出会っているかもしれない。

どの教会でも宗派でも聴講するあなた、その本人が何にもまったく束縛されず、あぁ命ある私はわたしであった!と目から鱗の不思議な思いにさせられるのは、キリスト☦の言葉の本来の体験である。命ある生涯は地上では一度きりである、というのが彼が人の体をまとって地上に来られた理由である。

「キリストが実態として現れる」という言葉は危ない、気をつけよ!ということをキリストご自身が語っているからである。そういう時代が来ると語っている。週末の時代に・・・。聖書をきちんと自分の言葉で読んでれば不明なところは時間はかかるだろうが教えられる。

キリスト☦の言葉は、宗教の言葉(霊的次元での言葉)と人の世界の言葉(今生での分かる言葉)で語っているから、読みわけが必要なのである。そのもやもやの中間に(人の言葉の解釈の不完全さに)雑音👽が生じるということである。

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キリストはこう言っている。

「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。・・・」(マタイ:24章4~7節) 

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僕は疑問に思うのだが、教祖のマホメットは富豪であった奥方が彼を支えなければ、あれほどの活躍はなされなかったのに、どうして今でも女性蔑視を続けるのだろうか、ということ。受け取った地上での不完全な解釈をほどこすからである。

XX染色体の女性の美貌がXY染色体でふらつく雄へその美貌にとらわれる弱点を壊滅しようとしたのか、雄どうしの雌を巡る争いを防止せんと動物的な自己防衛が社会の決まりとなってしまったためか。

古来からの家父長制が近代になっても部族を守るというサーベル(剣)、今では銃をぶら下げているわけだ。世界史では、右手にサーベル、左手にコーラン、となってイスラム教は世界制覇していったと学んだが・・・。

あのスカーフのかぶりが悪いと殺害されてしまった女性も顔が見えてそれなりの美貌があったから、所謂、ムラムラしたから消したということなのか? 偽りのある権威は決して当事者の顔がでてこない。

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聖書を読むに於いて、僕が示されたことにおいては、時代が降り、悪戦苦闘の中で彼らを見いださんと歩んで来たときに、まずは、そしてこれは誰もであろうがその書かれた内容につまずいたということであった。

キリストの言葉に心情的に理解できるところもあれば、まったく何の事やらの文章に初めての人は出くわす。それは、第一に人が物事を理解するということは、そもそもどういうことなのかと考えるようになった。先理解事項がなければ知りうることの前提が出来ていないということだ。これが異邦人と呼ばれる。

人は伝統、文化とその国の歴史、生活に於いては因習なんどがあれば、それがその人の知っていることの先理解となり、それに新しい困難な知識が当てはまれば合点がいったという、つまりは分かったということになる。しかし、これは体験に基づくもの。

だから仏教は、身内の葬儀は行われるし、存命のときのその本人を知っているのであるから、先行する知識は肉体として体験して知っている。そこで留まればいいのだが、このちゃんぽんの思いから、生きている言葉を得るひとりひとりになるのは、忍耐の期間が必要である。

👽体験にもとづくことほど合点がいくことの理解度の深さはない。しかし、これを全人類にシェアー(拡散し理解せしめる)する事に関しては、どうしても地上の諸々の”しがらみ”から解放されなばならない、と彼ら👽は考えた。

それは新しい文字と言葉であった訳だ。今でも世界の共通語にならんとしている言葉を我らは学ぶ。つまり、基点は人の地上の宗教あれこれ以前に我らのことを知ってもらうための非常に息の長いプログラムの基にあるということである。

しかし、このようなことは、非常に高い次元のレベルのことであるので、殆どの人には理解されない。第一、天からの我ら👽は、人の不完全を知っているから、有頂天になりつつ、天上の言葉を自らのものとするやいなや、我らのことばを地上で自分勝手に(これにも古来、天上には帰還できない地上でうろつく奴らが、誰のことか推測つくと思うが)解釈せしめて問題をおこしてしまうのであった。

地上においては人創造に嫉妬した彼ら👽は、今でもその創造に反逆をしているのだ。戦争、人命損傷いろいろ姿を変えて。さらには、我らの言葉をもちいて、光の姿に変貌するなど実に巧妙な手段を用いて。実に気がつく人は気がついている。我らの名前をかたる変貌した宗教はまさにそのことを示している。

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さてそこで、世界のベストセラーである。

神は人を創造した。そして、地球の歴史を経てその人ら(人類)を自分らの世界(永遠に生きるという世界)に帰還させようとされている。それには、冒頭にのべた地上の人には先理解が必要なのであると。それが、我らが地上で知らしめんと文字と言葉で残した世界のベストセラーの内容である。それがすべてである。

しかし、宗教というものは、それは人の頭脳(前頭葉)においてのそれではなく、生殖器官の欲求と同様に言葉以前の心情というようなところにその起源がありそうだということ。それに理解の生涯は先理解の事柄であることは先に述べた。

キリスト教は言葉の宗教と言われる。それは、現実においては地上に於いて条件なく彼の弟子となって生き通すことである。我らは実に弱いものであるから、思考の中間媒体に神話や物語や、不完全な人の言葉を要求するが、最終かれの言葉には中間媒体となる人の釈義という介在物は不要であるのだ。

必要なのは、宗教の言葉を踏まえた今生での自らの普段の言葉である。キリストが語った言葉には、宗教の言葉と人の言葉が、同時にこの歴史上の人社会で話されているということであった。

いつの時代も、神から霊を吹き込まれて人という生き物になった人(これは旧約聖書に書かれていることだが)、時代が進むにつれて世の目覚めつつある多くの人々に霊的戦いの準備をなせ、とのあからさまな天上の仕組みの欠陥の露呈の修正が行われ始めたのだろう。

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命に関する疑問が心の中から立ち上がった時、

人が生まれ、それが集合となり

狩りの生活から稲作という定住生活において、

交流においての山や川とくに目印は山であった。

それは彼らに出会うところ。

知識と知識の関連、その流動性のある物語。

主体はその物語に同期する者ら。

ヒーローへの帰属意識。そして優位性

人の成長という時代の進化。

時の決め事。それはアンカー・錨。

時代は流れ、人の内面にも進化が及ぶ。

遺伝に元ずく、進化して

ようやくわれらはここまでたどり着いたのだ。 ・・・👽



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