marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その2)勝手に解釈:中毒になるハイデガーの『存在と時間』をよむ

2024-12-12 22:33:15 | 思想・哲学

実に、取り組むとちょっと中毒になりそうな代物。哲学ご本家の先生方が『存在と時間』はわかりずらい、と申しておるわけですから・・・。中毒の結果として、両先生ご自身がこのハイデガーのこの本との係わりを話さなくてはいけないようにさせている、まずはそういう代物であること。『存在と時間』を読む人は、その係わりを第一に模索していかないといけない羽目になる本である。

こんな感じで、自分が生きて関わる自分も含めた周辺についての認識のありかた自体に、そこまで突き詰めて言うのか、言葉を変じて(意味を伝えるために文字を変じて)まで著わそうとするんかい、と文句を付けたくなりそうになるが・・・しかし、哲学世界ではこの人の影響をあたえた哲学者は多数にのぼる。

ハンナ・アーレント、J・p・サルトル、エマニュエル・レビナス・・・20世紀最大の哲学者と言われ、今でも重要な問題作とされる。つらつらと書き続けたいのだけれど僕らの日常の世界から、こねこね思考する言葉遊びの類いと思われるよう言葉遊びと思うような言葉が並んでちんぷんかんぷんかと。いずれ簡単に読めるものではない。

第一、従来の人が考えてきた考えかたそのものから破壊して見直すというような本。だから、このように著者はそれをこのように言葉で置き換えたとか、こう考えた・・・という説明だけで終わるような本である。僕のようにいつかは読んでみようと半世紀も過ぎて、そろそろ後期高齢者入り口で、ボケ防止にとかじりついて読んでみている訳である。

ところが、宗教おたく(知識の方ではなく文字と言葉を超えたものを追求中なのだが・・・)の僕としては、キリスト教神学の方をすこしかじってきたので、ふと気づくことがあった。神学の宗教色を脱色して極力、それが語る内容を精緻に分解し、言葉による思考を突き詰めて行こうとする、そのことが、ハイデガーの従来の古代哲学からの再思考に取りかかりを見いだしたものであろうと。

人間のことを「現存在」「世界ー内ー存在」とか、「本来性、非本来性」とか、何故、そういうのかとか?・・・続く 



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