





世界のベストセラーを読む(515回目) 人を評価すること、されること、傷つきされること
「わたしは自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、 望まないことを行っているとすれば、律法を善いものと......
◆<その①>の続きです・・・ ************* ルカのよる福音書23章39~43節
十字架に掛けられていた犯罪人の一人が、イエスを罵った。「おまえはメシアではないか。自分自身と我々を救って見ろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「おまえは神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
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◆イエスが十字架上で今生での死の苦しみを受ける、それは三次元的肉体が消滅し次の世界に入ろうとするパッション(受難)、その瞬間=同時に十字架に掛けられた二人の男の会話、この男たちの人生はどういうものだったのだろう、特にイエスに今日楽園でともにいるアーメン(はっきり言っておく)と保証されたこのひとりの男の言葉。ここにイエスをキリストと信ずる信仰の頂点があるのではないだろうか。
◆男は、イエスの奇跡を直接、見たのだろうか、イエスの言葉を直接、聞いたのだろうか、小さな時にはユダヤの人たちの伝統に従い子供たちには、我々の為に救い主が生まれるとは両親から聞いたことがあっただろう。しかし、彼は、イエスのこの地上での3年程の神の業に触れることはなかっただろう。なぜなら、牢獄に入って居たのだから。殆どイエスについては何をも知らなかったのだ。
◆今生に活きて生存している人類である僕ら人間は、今この瞬間にも命が取られるかもしれない。(今も、命が失われる悲しい事件が多く起こっている)命の消滅、それが確実となっているこの男。イエスをキリスト(救い主)と信ずる信仰とは何か。キリスト・イエスに今日、楽園にともにいると保証されたこの男の言葉にイエスを信ずる信仰とは何か、の意味のすべての要が表されていると僕は思うのだ。 ・・・ Ω
世界のベストセラーを読む(514回目) 神を用い自分の言動を正当化するのはキリストの神ではありません
「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。 あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。 神はこ......