先月29日の天王山から長岡天満宮の帰りにチョット足を伸ばして
天王山の戦いの舞台となった勝竜寺城公園へ
長岡天満宮から約2㎞30分の道程です。
勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょうこうえん)
暦応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、
天正6年(1578)明智光秀の娘、
玉(後のガラシャ)が細川忠興に嫁いだ城で、
後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。
鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、
わが国の城郭史上でも貴重なものであることが発掘調査で明らかになりました。
この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた
都市公園の姿で復興しました。
2階の資料展示室にあった玉お輿入れの状況の絵
城内にある細川忠興・玉(ガラシャ)像
北東の多聞櫓、板塀
石垣の上に土塁が築かれ、さらにその上に石垣を築く鉢巻き石垣になっている。
北 門
隅櫓(すみやぐら)
公園の北東角にあります。
屋根付きの休憩スペースになっています。
外観はお城。1階は休憩室。2階は資料が展示してあります。無料です。
1階の休憩室からの庭
管理棟2階の展示の様子
休憩室に掲げられた忠興と玉の絵
玉(ガラシャ)は関ヶ原の戦いにおいて、忠興が徳川方についたため、
豊臣方から人質として大阪城入城を強要されたが、それを拒み自殺した。