ma_kunの徒然日記

日々の出来事を綴っていきます。

創業の地「大開」

2012年06月29日 | 建物



怪しげな小屋での飲み会の帰り、阪神野田駅へ
 野田阪神本通商店街に「松下幸之助創業の地 記念碑」
の垂れ幕があり道標まであります。


 

現役の頃この辺りは彷徨いた所なんですが知らなかったです。
後で分かったことですが8年前に祈念碑が出来たそうです。

良く通った立ち飲み屋も健在でした。
 

第二次本店・工場跡
(1929年~1953年)
大開公園、大開幼稚園となり、記念碑が建立されていました。

大阪市福島区大開は、経営の神様と呼ばれ、
その名を世界に知られるようになった松下幸之助氏が
松下電器産業㈱(現パナソニック㈱)の礎を築かれた創業の地です。
松下幸之助生誕110年にあたる2004(平成16)年
11月27日の誕生日に執り行いました。



 


石碑の反対側には・・・

         ↑ 創業の家跡の筋向いに設置してある案内板  

   
創業の家跡地
1918年3月7日、「松下電気器具製作所」設立。
松下幸之助氏は大正7(1918)年3月7日に、大阪市北区西野田大開844番地
(現在の大阪市福島区大開2丁目)で現在のパナソニックの前身である
松下電気器具製作所を創立しました。




第一次本店・工場の跡地が分からず、店に入って聞くもサァ~よく分かりません。
電話を掛けて聞いてあげますと「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会の
会員さんに聞いてくれました。

6時を過ぎているのに(自転車を押している人)出向いてきて教えて戴きました。

話しでは写真のこの辺りが第一次本店・工場で
第一次本店前の今でもある風呂屋さんは
実際に幸之助さんも当時、入っておられたそうです。




第一次本店・工場跡地
(1922年~1936年)
創業の家が手狭になったことから、大正11年(1922)年、
大阪市北区西野田大開町896番地(当時)の

この地100坪余りの新工場を建設しました。
この工場では回転式アタッチメントプラグ、二灯用クラスター(二股ソケット)、
砲弾型電池式ランプなど10数種の製品を生産し、
従業員も50名を超す企業に発展しました。
                                               (説明文はパンフ参照)



前期は過去最悪となる7721億円の最終赤字に転落したパナソニック、
株価も低迷している中、
大坪文雄社長は株主総会で、
まず「深くおわびしたい。誠に申し訳ありません」と謝罪したそうですね。



 


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